2014年10月2日木曜日

義仲寺復興(保田與重郎、三浦義一)


義仲寺
〒520-0802
滋賀県大津市馬場1丁目5-12

三浦義一翁歌碑

かくのごときをみなのありとかってまたおもひしことはわれになかりき
としつきは過ぎにしとおもふ近江ぬのみづうみのうへをわたりゆく月





日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
http://www.oralarthistory.org/archives/isozaki_arata/interview_01.php     
磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年3月31日
東京都港区元麻布、磯崎新自邸にて
インタビュアー:辻泰岳、中森康文
描き起こし:成澤みずき
公開日:2014年3月11日     
Interview : 2012.03.31 / 2012.04.01

 (略ry)
それと戦争のせいで1930年代ぐらいの日本(の文壇)というのは万葉リヴァイバルですから、彼は万葉調の歌人になってきた。それで保田與重郎はわかんないけど、なぜか一生懸命その三浦義一を褒めたりしているんですね。それで話がうんと飛ぶんですが、この三浦義一という人は、晩年で失速している時の保田與重郎の、いわば一種のパトロン的な役割をしていた男だったんです。)
 (略ry)
芭蕉寺と言われています。そこに、保田與重郎と、三浦義一が並んでお墓に入っているんです。
 (略ry)
ともかくそういう所があって、ここでですね、なぜかはわからないんだけど三浦義一が、芭蕉の寺があまりにも戦後荒れているからこれを復活させたいと、復興したいと(考えた)。それにあたってですね、保田與重郎を呼び出してあれこれ、つまり芭蕉を評価してくれとかこのお寺の(復興を)やってくれとかいろいろ頼んでいたらしくて、このいきさつを全部大きな石碑に保田與重郎が自分で書いた一文が、そこのお寺にあります。この2人というのはお寺にとっては重要人物なんだけれどあんまり表に出せないようなポジションだから、一番(大事な2人の)お墓は隅に並んでいるとか、この碑というのはそれがなるたけ見えないような壁際にあるとか、そういう状態になっているけど、(こういうことは)行けばわかるんですね。
 (略ry)
芭蕉寺=義仲寺

いけばわかるということでいってみたが本当に一番奥にひっそりとあり、日も差さず影。すごい数の亀がのびのびと歩き回っていたのが印象的であった。