2013年7月7日日曜日

園 子温、入江 悠、鈴木 太一、月川 翔『みんな!エスパーだよ!』


Howard Overman(ハワード・オーバーマン)『Misfits(Misfits/ミスフィッツ-俺たちエスパー!)』と比べるとクオリティが…ってのもあるけどおもしろいよ。

日本のドラマが糞だからみない主義だがたまたまみてしまった。どうせ糞だろうと思っていたが…なんとすごく面白いw!
逆に原作は読む気もおきなかったという不思議。たぶん今後も読まないと思う。特に理由もないが。
園子温の映画は糞だったし、ドラマはどうだろうとか思ってみたが最高に良かった。だけどやっぱり日本の演技だからそれはたえられないところもあるし、彼のお友達が出演するのとかもうわぁ…って思うね。

opとedの出来も映像として非常にいい。こういうところはがんばってるなぁって思うしお洒落。
高橋優 - (Where's) THE SILENT MAJORITY?
石崎ひゅーい - 夜間飛行

こういう屈折した妄想的な負け犬ドラマってのは、製作者がリア充じゃなければ上手くつくれるってことだな。だからこそ最高にいい。

夏帆と真野恵里菜が良かった。
マキタスポーツも合ってる。
エロ童貞TENGAギャグドラマ。まぁ内容はない。なんだろうか結構がんばってる感じが伝わってきて良かった。
新井エリー(大沢佑香)で思い出したが、大沢佑香のAV、ガンギマリアナルが出たときに、あまりのタイトルに結構大学でネタにされていたのを思い出す。みんな名前だけで笑ってた。2008年やね。しかも顔がすごいかわいいから余計にインパクトあった。

2013年7月1日月曜日

冨樫 義博『HUNTER×HUNTER』30-32巻 会長選挙・アルカ編


何だかいろんな人が同じ意見を言ってきたので、ちょっと違うんじゃないのって事を書きます。
人間ってある程度、素直じゃなきゃダメだなと思いますね。結局色んなものが邪魔して現実を認識する能力が曇ってしまう。自戒です。

勝とうとも負けようとも思っていないというのは、ジンの考えで、パリストンはそれだけ予測できない不気味さというのを作者自体が描こうとしているし、未知数に対する畏怖であって、結果としてパリストンは会長という職をキャッチ・アンド・リリースをするけどそれ自体は重要ではない。会長がもういないからリリースしたとも言えるし遊ぶ(ゲーム)というのが作品全体のテーマとしてある。

チードルが対照的ではなくて、12支ん自体がジンとパリストンという例外と比べて対照的なんです。服までコスプレしてキャラになりきるといった12支んというそれ自体に忠実で、固定的な価値を持ち、会長に対して信仰心を持った信者にすぎないわけです。
着眼するとして「勝つ」ことじゃなく「理解する、認める」ができていない点の方が重要じゃないかな。俺に言ってきた人達も理解ができていなく、認めることができていない。こんな無意味なことして何になるのとか、理解する気がない人が多かった。いや別にそれはそれでいいとは思うけど。嫌いな(或いは興味がない)作品とかはそんなものだろうし。

一方でジンは行方不明になったりするぐらい自由、パリストンは副会長として会長の邪魔をするぐらい自由です。この二人は会長に対してでも対等に接してるわけです。だからこそジンとパリストンはお互いの実力を認めている。ジンのパリストンへの評価は、認め合った上での警戒であってチードルや他の12支んはパリストンに対してただの敵意しかないんです。パリストンが「ボクが会長に立候補しますから 選挙やめません?」と言った返答に対しての態度でそれがわかります。
それが、ギンタ「ぶち殺すぞ……!! 餓鬼がッ」
他の12支んと違いジンは冷静ですね。チードルはこの時点では冷静なふりをしているだけなんですよね。絵としてはジン、パリストンは普通、チードル以外の12支んが黒い影っぽくなっている。チードルは若干違うという感じでしょうか。

チードルや他の12支んが何故パリストンを認めることができないのか、ジンと違ってパリストンは悪としての部分があるからとも言える様に描かれているが、チードルはジンに対してでもゲームとして現状を認識して楽しむ事に対して拒否反応を示しています。特に会長を愚弄していると思うことに対して怒りがあるのでしょう。この怒りというものは、プライドであって、良い言い方をしてやれば真面目とも言えるし、悪い言い方をすれば堅物とも言える。簡単に代表的なものでいえば儒教的な固定概念なんですね。ギンタの餓鬼って台詞もそうだけど日本だと大人になるってそういう堅物になることだろうしね。このような固定概念、思想、信仰を持つことが弱さに繋がるということのほうが作品からの問いかけとして重要じゃないかな。この作品って子供の無邪気さってのが強調されて感じるし、ゴンなんて典型的にそう感じるよ。

ジンの警戒としてパリストンと繭はまぁ後々だろうし別として、それぞれ読み違いしたり色々あるが、本質としては以下。
くじ引きを予測して、ジンは自分のゲームを楽しんで勝利する。
選挙の結果を予測して、パリストンは自分のゲームを楽しんで勝利する。

思い通りになった後は、ジンは選挙に参加せず、パリストンは会長を辞める。
ネテロは会長を決める選挙を遺して、ジンが選挙のルールを思い通りに決めて出し抜き、パリストンが選挙をゴンの復活を予想して出し抜いて、ネテロと最後の遊びを終えたわけです。

パリストン「そしてゴン君を選挙に利用されたらボクは決して勝てないと思いました
わかりますか?あの時ボクはすでに「完敗」してるんです」
勝因を話しているのではなく、ジンがもし選挙に参加したら勝てなかったという敗因を説明することによってジンを認めて、同時に何も理解ができていない、戦っている相手であるはずのチードルをみていないんです(実際に視線が合っていません)。

パリストン「ボクはジンさんを敵として
信頼してます」
パリストン「そのジンさんが息子を託すに「十分だ」と言った仲間ですよ?
信じますよ!!決まってるじゃないですか!!」
最高のシーンだと思う。敵に塩を送るとは少し違うがこういう感動ってあるんだなと感心した。
はじめから、プレイヤーとして、ネテロとジンとパリストンしかいないというのが本質なんじゃないのかな。チードルはジンにアドバイスをもらった頃はまだパリストンを認めたくなかっただろうけど、選挙でパリストン負けて最後告白をされた時に、動揺し理解したんだと思います。もしそうなら、チードルは一つ成長して認める強さを持った会長となるのかもしれません。

それに比べて、上から目線でみる人って理解できないと思う。例えば医者って、相手を患者だと思い見下している面があると思います。そういうねじ曲がった視点からしか人を観察することや診察することしかできない人っているんだなと。例えば精神科医(哲学、心理学とかも多い。)はその人自体が精神を病んでいるとよく言われるのは、相手を精神的に治すということで優越感を得て、可哀想で不幸な自分より更に、可哀想で不幸な人をみていたいんじゃないでしょうか。或いは、自分の精神状態から目を背け、他者を治すということで誤魔化しているのかもしれません。チードルって医者っぽいし。

付け加えるなら現実に12支んの様にコスプレをするコスプレイヤー(通称:レイヤー)の方々の中には、精神を病んでいるメンタルヘルス(ネットスラング:メンヘラ)の方が結構いますね。そうみると何だか面白いです。

私はこの漫画を見て、かなり勉強になりましたし悲しくなりました。相手を認めて理解するということの大切さがより理解出来ました。プライドを捨てるって難しいけどね。

ピトーがゴンを直感で警戒したように現状把握とその現実を認めるという判断も強さだとただ思う。
感想としては、やはりゴン(こいつ)の能力(牙)は王にも届き得た!!

自分が死にたくないだけだろ。