2014年2月27日木曜日

内閣総理大臣臨時代理青木幹雄


内閣総理大臣臨時代理青木幹雄
2000年4月3日 - 2000年4月5日

 瓦解する経世会であったがその動きは一人の男の動きによるものだ。

 松田 賢弥 『逆臣 青木幹雄 [単行本]』講談社(2008/6/27)pp.23-24
    青 木の主・竹下は、直弟子・小渕の死がよほど身にこえたえたのか、小渕の後を追うように、小渕の死から1ヶ月後の2000年6月19日に亡くなった。青木は 竹下が死んだとたんに、東京・永田町の議員会館裏手にある秀和永田町TBRビルの竹下の残した「遺産」を乗っ取っていく。
竹下の後継者としてとんでもない化け物が誕生した。派閥+参議院を掌握していた。その43年前、青木と森はその頃から総理の夢をみていたのだろうか。

1957年(昭和32年)10月27日午後1時半 早稲田大学創立75周年・早稲田大学雄弁会創立50周年 「学生模擬国会」in 大隈小講堂

青木にとって森は一年後輩、小渕は三年後輩の早稲田雄弁会の仲間だった。

松田 賢弥 『逆臣 青木幹雄 [単行本]』講談社(2008/6/27)p.99
目を瞠るのは、そこに名を連ねる面々。まず「議会日程」の開会式の挨拶は早大雄弁会幹事長・青木幹雄。祝辞は自民党総裁・岸信介、社会党委員長・鈴木茂三郎。
 本会議は事務総長報告として、事務総長・森喜朗、次いで施政方針演説説として内閣総理大臣・青木幹雄と記されているのだ。
 青木は総理とともに、早稲田党(約85名所属)の総裁に就いていた。
やはりこの雄弁会は政治に対するコネが強いなと思わせられる。このときから政治を勉強というか実践している強みは出ているなと感じる。43年越しの夢は三日で終わるわけだが、それから清和会(森)+経世会+参議院を操る闇将軍が誕生した。早稲田雄弁会を使っていたのは竹下も同じではある。小渕や森は苦学生であった時、青木から飯をもらっていた。二人はそういう関係もあって頭も上がらない。じわじわと相手が死ぬのをゆっくりと待つ。待ちの政治家として、主君が死んでから乗っ取る、松田賢弥はよくみているなと思う。

 野中が青木を官房長官にあげるように小渕に進言した。前述の通り、小渕は青木には頭が上がらないし、信用が出来ないという事で懸念を示していたが、野中は竹下の下でやってきた青木をここはあげるべきだと青木を押した。参議院議員から官房長官は異例である。竹下の裏の幹部としてとんでもないスピードで権力の階段を駆け上がった野中と青木であるが、二人は後にぶつかることになる。

松田 賢弥 『逆臣 青木幹雄 [単行本]』講談社(2008/6/27)p.23
小渕の病室に入り、小渕と面会できたのは青木一人だった。その時も面会っできた政治家は青木しかいない。情報を一手に握った青木は、その直後から、矢継ぎ 早に情報操作を行なっていく。まず小渕の病状を「過労のために緊急入院」(4月2日の会見)と偽り、「(小渕から)青木長官が首相臨時代理の任に当たるようにとの指示があった」(4月3日)と真っ赤なウソをついたのだった。小渕の病に乗じて、自身が権力の中枢で采配をふるおうとしたのだ。
情報戦という意味で、野中はそれを攻撃に使っていたが青木は違う。常に握って出さない。その後五人組で密室で総理を決める所も、情報を握る事によってその流れにまで上手くもっていっている。

2014年2月25日火曜日

加藤の乱(影の総理)


 かつて、野中の腹心として動いていた加藤と山崎であったが、反旗を翻す。神の国発言、中川秀直のスキャンダル辞任、自民党は死に掛けていた。

NHK「永田町 権力の興亡」取材班 『 NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009 [単行本] 』日本放送出版協会(2010/3/20) p.158
自民党の保守本流「宏池会」会長で、衆院で45人を率いる派閥の領袖だ。加藤は当時、ポスト森の最右翼とされていた。
ポスト森ということになってはいるが、そうはいかなかった。このとき既に、党内の派閥はどの派閥もかなりギクシャクした状態であり、野中が加藤を総理にあげるというのは難しい状態である。内閣不信任決議案を野党とやるとなると綻びがでる。池田、大平、鈴木、宮沢、加藤と派閥の流れがある宏池会だが、池田以外はどうも力がない人しかいないなと思う。派閥のイメージも散々である。まるで経世会の植民地の印象を受ける。

 加藤のHPにあるインタビューをみてみる。
http://www.katokoichi.org/ltt/ij_20010600-skn.html
ナゾの大反転を語る
文藝春秋「諸君!」
6月号からの転載

(略ry)
── つまり、「加藤の乱」のときも、自分が決起すれば宮澤さんは当然協力してくれるという信頼があったわけですね。

【加藤】 そうです。11月の政局は、自分が政権を取るということではなく、森政権に終止符を打つということが目的でしたから、その程度のことなら宮澤さんに賛成していただけると思ってたんですね。

── しかし、裏切られる。宮澤さんは11月の政局のときに、宏池会のベテラン・中堅議員たちに担ぎ上げられて「反加藤グループ」の象徴のような存在になりますね。 (略ry)


【加藤】 かなりネガティブでしたね。その3日まえに「山里会」(読売新聞社長の渡邉恒雄、政治評論家の中村慶一郎、早坂茂三らでつくる勉強会)で僕が発言したこと(いわゆる「倒閣宣言」)がメディアを騒がせるようになって、宮澤さんも新聞等にコメントしていましたが、それを読むとかなりきついコメントでしたから、あれっ、と思ったんですけど、実際にお会いしてみるとかなりきつい感じでしたね。
(略ry)
問題として、宏池会では、宮澤喜一元首相らは、堀内派を結成して離脱。野中の腹心である古賀が派閥を掌握した。宮澤としては森の倒閣には賛成だったということだろう。普通に部外者の目から見て、加藤のやろうとしていることは、倒閣ではなくて自民党をつぶすという事だ。これは明らかにはじめの目的と違ってきている。明らかに野党との連携(小沢、管)をやっているわけだから、そもそもそのまま自民党にいれるわけがなし、自民党にいれないなら、倒閣というものを超えている。それに、加藤はもし政権をとっても六ヶ月で終わると思ったと言っているがその言葉にも表れている通りこれは倒閣ではない。そんな動きに宮澤はさすがに乗らない。プロレスがブック破りの殴り合いに変わっている。リベラルの結集という言葉も同じだ。 中途半端だったと言っているが確かに中途半端だ。

 さらに野中は腹心の古賀を使う事になる。

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011028267SA000/
権力の興亡「第02回[1996-2000] 漂流5年 “数”をめぐる攻防」 NHK 2009年11月2日(月) 午後10時00分~
野中は加藤山崎両派の切り崩しに全力を挙げた
造反する議員に対し選挙での自民党の公認剥奪や除名をちらつかせしめつけた

さらに野中は加藤派の幹部古賀誠と共に内部からの派閥の分断工作を図った
古賀も宏池会の人間であり、この時点で加藤派の内部の加藤に対する支持率は相当落ちている。ここでも先述の中途半端さがきいている。自民党をそのまま続ける気であるから、公認剥奪や除名に対して弱い。もしそのまま自民党を割るつもりでいるのなら効力があるわけではない。自民党を辞めるつもりなら、辞めさせるぞと言われたところでなんともないからだ。しかし自民党を割って新しく加藤を中心とした政権作りまでやる気は、加藤派と山崎派の不信任に同調する人間にはいなかったということである。もう一度書くが中途半端だ。どちらか一方に絞るべきだった。

 先述の加藤派の数に加えて山崎派の数をみてみる。

NHK「永田町 権力の興亡」取材班 『 NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009 [単行本] 』日本放送出版協会(2010/3/20) p.160
その山崎は自分の派閥「近未来政治研究会」(通称山崎派)の19人を率いて、加藤の乱に加わった。
ここからみえる状況をまとめてみる。

加藤派45人
山崎派19人
計64人

 それに加え加藤と連絡をとっていた野党が動く。

NHK「永田町 権力の興亡」取材班 『 NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009 [単行本] 』日本放送出版協会(2010/3/20) p.161
自由党を率いていた小沢にも、加藤らから打診があったという。
当時の小沢は自由党の少数野党、完全に空気である。主要なのは民主党だ。管や鳩山との連携をかなり加藤は強調していた。

NHK「永田町 権力の興亡」取材班 『 NHKスペシャル 証言ドキュメント_永田町 権力の興亡~1993-2009 [単行本] 』日本放送出版協会(2010/3/20) p.162当時民主党の幹事長だった管直人も、加藤と連絡を取り合っていた。
リベラルの結集が構想である。その後の小泉政権が失敗したらYKKトリオで新党をたてるつもりだったと山崎は言う。政治は常に不安定だなと感じる。

野党190人
森内閣不信任決議案必要最低数240人
野党+加藤山崎両派=254人
でそのままいけば数はクリアしている。

 最終的に加藤派・山崎派は、欠席した。不信任案は否決。

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011028267SA000/
権力の興亡「第02回[1996-2000] 漂流5年 “数”をめぐる攻防」 NHK 2009年11月2日(月) 午後10時00分~
 加藤の乱から20日後
戦い破れ加藤と苦い酒を飲んでいた山崎の元を突然小泉純一郎が訪ねてきた

山崎拓「突然小泉さんが現れてですね
YKKはあのー友情とですね 打算の二重奏であるという名目を言われました
友情で来たと皆さん思うだろうと そうじゃないんだ実は打算で来た
ということを彼は言いまして これからは俺の番だと」
ここで、加藤が総理になる道或いは派閥の領袖としての価値というのは終わった。小泉はここから総理になる。この加藤の乱自体が政局を重視した経世会というより自民党という負のイメージに繋がるわけで、加藤の乱は小泉の目標である経世会との対峙という理由に、もっと言えば追い風になった。
 野中の党内を支配する手腕はものすごいものだといえるが、このとき既に権力は別の人間に移っていた。

自由党離脱


1998年(平成10年)

 野中に公明党を奪われた後、小沢の力は低下した。その後も連立に残ることをすすめる中曽根に対して、小沢は断る。小沢はその後、自由党を民主党と合流させるわけであるが、このときから考えはあったのだろうか。保保連合の動きは事実上ここで終わり。自社さの動きもさきがけは民主党へ、社会党は惨敗して終了したので、自民党一強になったわけではあるが、公明党なしでは不安定ではある。


平野 貞夫 『平成政治20年史 (幻冬舎新書) [新書]』幻冬舎 (2008/11) p.197
中曽根元首相と渡辺恒雄・読売新聞社社長が、小沢党首と会って、連立政権から離脱することをやめるよう説得したのである。小沢党首は返事をしない。その時期私は、中曽根元首相のブレーンと称する元東急エージェンシー会長の前野徹と、小沢党首と親しい清水信次・ライフ社長と、ある団体主催の忘年会で同席した。

連立の動きがあると渡邉恒雄が出てくるのだが、基本的にはその後ろに中曽根がいるとみればいい。

中曽根と小沢でとりあえずわかりやすくわけてみる。

中曽根
中曽根康弘
渡邉恒雄
前野徹

小沢
小沢一郎
清水信次
平野貞夫



 ここから自由党は、少数野党として民主党に吸収されるまで不遇である。

平野 貞夫 『平成政治20年史 (幻冬舎新書) [新書]』幻冬舎 (2008/11) p.197
後日、小沢党首は私を呼び「政策協議が実現しなければ、連立政権から離脱する。これから前野さんと口論してもよいが、清水さんとは喧嘩しないように」と、注意を受けた。
要するに、この時点で中曽根とのパイプをとりあえず使わないという事。その後も大連立の動きがあるので、とりあえずは自民党内の中曽根の動きには乗らないということで、中曽根と関係が終わったわけではないので注意。

 自由党は離脱、その連立離脱に反対し自民党との連立を続けたのが保守党(後に保守新党)である。

2014年2月24日月曜日

軍師松野頼三-党内運営-


2003年

 かつて福田派から三木にうつり、軍師として活躍した男がいた。中曽根の誘いを断り、青木がついたことも要因であるが、政権運営の基本を小泉は松野から学んだ。The Journalの田中良紹の「国会探検」にそれがのっている。
 http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2006/09/3.html
 小泉純一郎と中曽根康弘(3)

 (略ry)
  経歴から、反田中、反中曽根で動いた政治家という事が出来る。
 小泉が中曽根ではなく松野を後見役に選んだ事は、小泉が反田中、反中曽根の政治を行う意志を表明した事になる。
 田中角栄の力の源泉は旧建設省、旧郵政省、旧自治省を支配したことにある。
 道路建設は政治家にとって最大の利権、郵便局ネットワークは自民党最大の集票マシーン、そして巨額な郵便貯金は第二の予算として政治に組み込まれている。それらを支配することで田中は自民党を支配し、その流れをくむ最大派閥はそれを踏襲してきた。
 (略ry)
 1976年、「三木おろし」の真っ只中で、三木は松野を幹事長に据えようとして党内の猛反発に遭う。その時、政調会長になるはずの内田常雄を幹事 長に、総務会長になるはずの桜内義雄を政調会長に、そして松野が総務会長に就任すると反対はなくなった。三役の顔ぶれは同じでもポストを変えれば反対は消 える。松野はそう教え、小泉はそれを実行する。
 小泉政権の一期目、小泉には山崎拓幹事長以外に心の許せる相手はいなかった。そこで反小泉派は山崎の失脚を画策する。2003年、山崎幹事長の再 任を認めないという党内の強い意向に対し、小泉は安倍晋三を幹事長に抜擢し、山崎拓を副総裁に据えた。安倍は名目だけの幹事長であり、山崎副総裁は事実上 の幹事長留任なのだが誰も反対できなくなった。
 (略ry)
投稿者: 田中良紹 日時: 2006年9月12日 00:23
三木武夫という政局を理解した人が昔いた。その軍師であった松野の知恵を小泉は使った。三木武夫はロッキード事件で、田中角栄を攻撃した。しかし、中曽根康弘は逃げ延びた。三木、松野ができなかった田中、中曽根という二つの流れを攻撃することに小泉は成功した。松野は小泉のことを実の息子のように可愛がっている。小泉純一郎の父である小泉純也と松野頼三は親しかった。あの角福戦争からかなりの年月が経っていた。

 小泉に政策がないと批判があるが、経世会を殺すだけで充分な価値がある。総理でもないのに政権を私物化しようとする。自派閥の中でそういう仕組みをやるならまだしも、政策決定などに影響を及ぼしすぎる。

 小泉は福田というより、三木と松野の後継者であったといえる。

2014年2月23日日曜日

石原新党失敗(徳田、亀井)


 2001年当時、石原はポスト小泉の最有力候補であったが、現役の都知事であった。2003年4月東京都知事選が控える中、石原は結局国政に出馬する事はなかった。その時のもう一人のキーマンが徳田であった。データマックスのNetIB-NEWSに記事があるので引用する。
http://www.data-max.co.jp/2013/09/26/post_16455_ngk_1.html
徳洲会騒動は、永田町で炸裂するのか!! 発端の「能宗メモ」どこまで波及(後)
政治
2013年9月26日 13:16
(略ry)
「徳洲会から亀井氏が得た金額は、数十億円にものぼる。この金が亀井氏を通じて石原慎太郎氏にも流れているようだ」

亀井静香氏、石原慎太郎氏、徳田虎雄氏の関係は緊密だ。2001年には東京都知事だった石原氏を擁立して、石原新党を立ち上げる動きがあった。狙いは同年に行われた参院選だ。現職が改選の石井一二参院議員しかいない自由連合にとって起死回生を図る好機であり、同年の自民党総裁選で小泉純一郎氏を支援したものの、政策で裏切られた亀井氏にとって政界で浮上するチャンスでもあった。
 しかし、もっと大きな動きになると期待した石原氏がしり込みしたため、新党構想はとん挫してしまう。

(略ry)
この頃、亀井静香は小泉に政策協定を破られ失意の中、打倒小泉のために新党の動きを考えていた。その新党の看板として石原を選び、徳田がそれに金を出すという流れであった。この頃から石原にも裏切られ亀井はストレスをためていたんだなと思う。資金の問題において、石原と亀井は徳田とかなり強い繋がりをもっているみたいだ。2013年5月の政界往来の記事に石原と徳田の関係のはじまりが記述されている。
http://seikaiourai.jp/1305/130503.htm
維新代表石原慎太郎氏、80歳の鬱とストレス

日本経営者同友会会長 下地常雄

 日本経営者同友会はそもそも石原慎太郎氏が作った組織だった。それを33 年前、私が石原氏から依頼を受けて継承することになった。

 知事選の時に私は、石原氏を応援するため徳洲会会長だった徳田虎雄氏を紹介したこともあった。石原氏はそれに恩義を感じたのか、次の参議院選挙に徳田氏が自由連合から立候補した際、私が依頼した応援を受けてくれて、東京と鹿児島まで駆けつけてくれたことがある。息子の伸晃氏が自民党の衆議院議員だったにもかかわらずだ。

 石原氏は、そういった義理堅い一面がある。

 その後、徳田氏から自由連合の党首に石原氏が就任してくれるように要請があり、私も尽力したが徳田氏側の諸事情により流れた経緯がある。
(略ry)
元々、石原とも繋がりが強かったわけではないみたいだ。その間を取り持った下地にせよもっと別の誰かもいるだろうが私にはわからない。

 結局のところ石原はいつもタイミングが悪いなと思う。結局この騒動は逆に小泉の追い風になった気もするなと思う。この頃の小泉は運と強さが半端じゃなかったし、案外やらなくて正解かもしれない。

 この動きが後の石原の国政での新党のはじまりになるわけだけど、散々ではあるな。ついでに言っておけば、改革に熱を入れている猪瀬直樹は確かにいたのだが、あの頃の気持ちはどこにいったんだろうか。かなり強い感じで不正追求をしていた彼であっただけに後の事件は残念である。

迷走平沼赳夫


小泉内閣2001年(平成13年)4月26日 - 2006年(平成18年)9月26日
2006年(平成18年)9月06日 小泉政権最後のお話


 小泉純一郎は言葉は大事と言っていた。野中広務の場合、狙撃しているだけですから、政界の狙撃手って言われてるしな。山本一太のブログの内容を思うに、やっぱり言葉は選んで発言しないと駄目だよなってお話。山本一太『山本一太の「気分はいつも直滑降」』より引用。
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2006-09-07-1
お前、抹殺するぞ!!

9月6日:

 午後11時50分。東京の部屋でキーボードを動かしている。夕方から某テレビ番組(最終回スペシャル版)の収録に参加。ゲストの1人としてやってきた某大物政治家が近づいてきて(怒りの表情を露にしながら)こう言った。「おい、お前、オレの復党の件について反対だとか何だとか言ってるらしいじゃないか...あんまり調子に乗るなよ。お前、『抹殺するぞ!!』」
 
 断っておくが、自分は郵政法案に反対して党を離れた方々には何の恨みもない。最後まで郵政民営化に反対を貫いた「信念のある政治家」には(立場は違っても)「尊敬の念」さえ抱いている。個人的な名前をあげて、「この人は戻すべきだとか、あの人は戻すべきではない」などと発言したことはない。参議院選挙対策というだけの理由で「郵政反対組の復党」を安易に許すようなことをしたら、昨年の総選挙で自民党に投票した多くの国民(無党派層)の支持を失うと主張しているだけだ。
(略ry)
 「お前、抹殺するぞ!!」と言われて、「いえ、そんなことは(特定の誰かを復党させるななどということは)言ってませんよ!」と即座に(かつ冷静に)答 えた。数秒後、少し離れた場所から(続けて)「あんまり跳ね上がるんじゃないぞ!」というセリフが飛んで来た。「跳ね上がってなんかいませんよ!!」と (少し強い調子で)反論した。横にいた同僚議員が、右手を押さえて「これ以上はやめろ!」というサインを送ってきた。続けて口から溢れそうになった「激し い言葉」をぐっと飲み込んだ。
 
 「お前、抹殺してやるぞ!!」これはまさしく「恫喝」だ。これ以上、何かを言ったら「政治生命を終わらせてやる」という意味だろうか。(それと も???)「偉い人々」から罵倒されたり、激しく叱責されたりしたことは何度もある。が、ここまで言われたことはない。どんな状況であろうと、政治家が政 治家に対して使うべき言葉ではない。これが「お前はけしからん!」とか、「2度とそんな発言をするな!」という表現だったら、(ぺこりと頭を下げて)「ご 迷惑をかけてすみません。が、私の意見ですから!」と応じたかもしれないが...。とにかく、このセリフには本当に「がっかり」した。サムライの精神を 持った「品格のある政治家」だと思っていた。ある意味で、尊敬の念を抱いていた先輩議員だったからだ。
 
 「お前、抹殺してやるぞ!!」この言葉を心に刻んでおくことにしよう。永田町に真剣にこう思っている実力者がいる。ある日、議員バッジを失う(=政治生命を断たれる)かもしれないという「覚悟」を忘れないために。山本一太も、いよいよ「風前の灯火」だ。(笑・笑)
ビートたけしの弟子で、お笑いコンビ浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)の玉袋筋太郎のブログにその正体がのっていた。とっくの昔に平沼の部分は削除されているのでいまはもうみられないよ。
http://homepage2.nifty.com/tamablog/tamablog/tamablog.htm
2006年9月6日(水)
(略ry)アサヒジャーナルファイナル
5周年記念赤坂プリンス
まぁ、本当に政治家の先生が沢山顔を出してくださった。


石井一、藤井裕久、米田健三、樽井良和、
鎌田さゆり、小林興起、荒井広幸、山本一太、
武見敬三、原口和博、松原仁、細野豪志、高木穀
平沢勝栄,大村秀章、河村たかし、石関貴史、
郡和子、穀田恵二、浜四津敏子、早川忠孝、
岩国哲人、白槇勲、石破茂、平井卓也、
浅尾慶一郎、井脇ノブ子、川条志嘉、平沼赳夫、
松野頼久、島村宣伸、久間章生、川野太郎、
鳩山邦夫、石原宏高、牧原秀樹、枝野幸男、
達増拓也、井上信二、桝添要一、小野寺五典、
川口順子、澤雄二、小池百合子、高市早苗、
山本拓、池坊保子、坂口力、浮島とも子、
阿部知子、後藤田正純、渡部恒三 敬称略

1日に50人の政治家と逢ったら疲れるわ!
でも、よくぞここまで集まってくださった。

集まっていただいた政治家先生、
そして集めてくれたスタッフに感謝!

途中、山本一太さんを
恫喝するキラー平沼目撃!

凄いシーン見ちゃったよ!
(略ry)
消されたのはこの部分。
途中、山本一太さんを
恫喝するキラー平沼目撃!

凄いシーン見ちゃったよ!
 
やっぱり、平沼の兄貴分があの亀井であり、石原慎太郎などと新党ごっこをやっていた。私はサムライと自称するのには失笑した。口でいくら言っても周りの人間をみれば全然説得力がないんだよな。そりゃ綺麗なままで偉くなるなんて無理だろうけどいくらなんでも黒すぎますわ。志帥会は自殺率がブラック企業並みに高いみたいだけど大丈夫なのかな。私はサムライだとか言ってたんで腹でも切るのかと心配していたが、脳梗塞だとは思わなかった。脳梗塞になるぐらいストレスとかかかってたのかな。後はいいもの食いすぎの贅沢だわな。志帥会関係者の自殺率を上げないでよかったなと思うよ。資金問題や先述の理由が多い経世会と並んで恐ろしい派閥の人に脅されれば、そりゃ一太もブログに書いて予防線はるしかないわな。怖い世界ですな。

2014年2月22日土曜日

加藤の乱(参議院のドンVS大勲位)


 当時の森内閣の内閣参与は、中村慶一郎。ここから、森、野中、青木へと伝わるのは、中曽根が経世会(野中)を動かし加藤の乱鎮圧へと動かす布石だと言えるのではないか。 野中は調整型の政治家であり混乱を鎮圧するためその場の収拾をするのは目に見えていた三宅久之という人間は、河野一郎の番記者であり、渡辺恒雄、中曽根康弘の関係性が大きい。三宅は、中曽根が背筋を伸ばして起きているというが中曽根は、背筋を伸ばして寝ているだけだろ。大体、台本ありきの茶番国会中継で起きてようが寝てようがどうでもいいし、耄碌するな。ほとんどの人間は身内には優しいものだから庇うのはわかるが、国会議員の寝ている写真などいくらでもあるので意味がないのではないか。最初で最後のニコニコ生放送に出た三宅のインタビューに参考になる点があるのでみてみる。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw228213/4

「評論家冥利に尽きる」 "引退"直前の三宅久之氏がニコ生で語る政治 全文書き起こし<後編>
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ニコニコニュース(オリジナル):記事一覧 2012年4月3日(火)14時21分配信
■政局を動かしてきた!? 知られざる"山里会"とは

(略ry)
三宅: うん、ありますね。かつて森内閣のときに、加藤紘一さんに「今度の内閣改造でどうですか」って話をしたら、「森さんに内閣改造なんかやるんですか。私が組閣をやるんですよ」っていうような話でね。それで、野党の不信任に賛成して、森内閣を倒すって話になって。
  そのときは、私は言わなかったんだけども、そのメンバーの中には森内閣の内閣参与って肩書きを持った人がいたんですよ。それで、あっと言う間に政界を駆け まわって、野中広務さんが乗り出してきて、山崎拓さんを潰したんだけども。恐ろしいところだっていうことになったことがありました。
(略ry)
山里会
メンバー
渡邉恒雄、早坂茂三、三宅久之、屋山太郎、中村慶一郎、岩見隆夫、早野透など

 当時の志帥会(村上・亀井派)の村上正邦、亀井静香を従ていたのは、中曽根康弘である。これも余談だが当時の状況として、中曽根康弘の派閥から、後の渡辺美智雄の派閥政策科学研究所から近未来政治研究会を旗揚げして派を割ったのが山崎拓である。これは中曽根のもとにすぐ情報は入る。

 野中広務が加藤の乱を鎮圧し、自分は亀井静香に出馬辞退を勧め、経世会と亀井静香の合流を防ぎ、小泉に恩を売り亀井静香と小泉純一郎の裏でキングメーカー(平成の妖怪)として、力を持とうとしたのが中曽根康弘の思惑であったといえるのではないか。

 一見すると中曽根康弘の勝利にみえたが、現実には、亀井静香は入閣する こともなく、村上正邦は逮捕、郵政選挙で派閥は弱体の上、中曽根康弘、宮沢喜一は議員引退に追い込まれる。

 青木幹雄は加藤紘一から情報を得て利用し、中曽根よりも優位な位置についていた。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21021_R20C11A2I10000/

    加藤の乱 「青木幹事長」打診でつまずく 加藤紘一氏を語る(下)
    わが体験的政界論 山崎拓氏編

        2011/2/24 7:15
(略ry)
 ――加藤氏を思いとどまらせる選択肢はなかったのですか。
 われわれは非常に仲が良かったので、一心同体になっていた。加藤から青木さんと会談し、クーデター計画を認めてもらったと聞いたとき「これ はちょっと甘いんじゃないか」と思った。そのうち、マスコミ関係者との会合で「僕が総理大臣になる」という趣旨のことをしゃべり、それが漏洩(ろうえい) して大騒ぎになった。
 次の日、小泉が衆院本会議場で僕に「こんな話を聞いた。加藤さんは本当にそんなことをしゃべったのかね」と聞いてきた。加藤が僕の横に座っているのにですよ。
 僕が「本当だよ」と言ったら、今度は加藤に「拓さんの言っていることは本当か」と聞いた。加藤は首を縦に振ったから、小泉は「大変だ、大変だ」と言って議場を駆け回った。その姿が目に焼き付いている。これは計算外だった。
(略ry)
■青木氏、協力の約束を否定
 ――加藤氏は本気で経世会の協力を得られると思っていたのでしょうか。
 経世会を自分の「義挙」に加担させようと思っていた。自民党がつぶれるという危機感はだれもが持っていたから。青木さんもどこかで「もうだめだわね」とか、漏らしたことがあるんでしょう。加藤はそれを伝え聞いて、青木さんのところに行ったわけです。
 加藤は青木さんに「幹事長になってください。青木さんがだめなら、あなたの推薦する人を幹事長にする。経世会のどなたでもいい」と言ったそうです。彼は僕に謝る意味で、その話を教えてくれた。クーデターが成功すれば、僕が幹事長になるような立場だったからね。
 加藤は僕に「幹事長にできなくなった。勘弁してくれ」と言いに来たんです。後日、青木さんは加藤と会談したことは認めたが、協力を約束したことは否定した。加藤の曲解だと。
(略ry)
加藤紘一の詰めの甘さ、脇の甘さが結局露呈した。そもそもホームページに国民の声が殺到したと言っているがそもそも匿名の書き込みなど信用できるわけがない。誰が書いたかさえ分からないのだから。ネットの書き込みやメールなんて匿名でなくともいくらでも偽ることが出来るわけで、逆に加藤を動かすためにメールや書き込みが来ていたとしたらとんだピエロだな。ほとんど笑い話であるが、その後小泉が人気が出た事を考えると加藤に扱える人気ではなかったという事だ。結果として、青木は中曽根や野中を上回っているようにみえる。

 だけど改革を切望する国民の声というか、この状況を何とかしなければならないという思いを拾ったというのは良い事なんじゃないかなと思った。そのまま突っ切れば良かったのにね。

靖国参拝の余波


 靖国神社参拝の問題に関して言えば、中曽根政権のときの問題である。中曽根がパフォーマンスで靖国を参拝してその翌年、参拝をしないという中国に対して、口実を与えた事が問題となる。それ以降、中国は靖国参拝を問題にして、対日カードとして使えるようになり、韓国や北朝鮮もそれにのっかるというのが今の流れではある。その様な流れは別にして、安倍政権ではどのような流れで参拝になったかという事をみてみるとする。この国にいていつも思うが日本という国の内部で足を引っ張っているだけじゃないかなと一貫して国内問題である。

 首相側近の発言を産経新聞の記事で見てみる。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131020/stt13102010190001-n1.htm
「首相年内に靖国参拝」 側近の自民・萩生田氏

2013.10.20 10:18 [安倍首相]

 自民党の萩生田光一総裁特別補佐は20日、安倍晋三首相(党総裁)が就任1年となる12月末までに靖国神社を参拝するとの見方を示した。都内で記者団に「首相は繰り返し、靖国への思いは変わらないと発言している。1年間という時間軸の中で必ず参拝すると思う」と語った。

 同時に「一部の人は『任期中に行けばいい』と言うが、そうではなくて1年に1度(参拝すべき)だ」とした。根拠に関して「ずっと一緒にいて、そう信じている」と述べた。

 首相が中国や韓国に配慮して参拝を見送っているとの指摘には「配慮の上で参拝せずに首脳会談が実現すれば、参拝しないとの前提条件を付けた会談になる。それは首相の望むところではない」と反論した。

 萩生田氏は首相側近で、8月の終戦記念日には首相が私費で出した玉串料を靖国神社に納めた。
萩生田光一は、一年に一度だと設定してかなり、安倍に対してノルマのように逃げ道をなくそうとしている。問題として、靖国参拝というパフォーマンスが欲しい右翼に縛られる形になる。そういう支持層が一定数いて配慮となると行かざるを得ない状況になるわけではあるが、それに加え後押しをしたのが百田(ひゃくた)であると考えられる。百田は、ベストセラー作家で最近では『海賊と呼ばれた男』など歴史小説をだしている。ちなみに、『海賊と呼ばれた男』は出光佐三がモデルで鳩山一郎とかもでてくる。吉田茂と対立していた軸として鳩山一郎の流れを調べようと思っていたのでついつい買ってしまった。話がそれるがこの時代の話が割と好きなので、鳩山、大野伴睦、河野一郎を調べるのに増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』もついでに買ってしまったのだった。今では北朝鮮の英雄でもあるプロレスのヒーロー力道山と最強の柔道家木村政彦を軸に、昭和の時代の暗部がみれる非常に取材に基づいた力作である。そういえば偶然だが力道山の日本名は百田という。 読みはひゃくたではなく、ももたである。話を元に戻して、朝日新聞の記事を見てみる。
http://www.asahi.com/articles/ASF0OSK201312260082.html
百田尚樹さん、参拝を歓迎 「国民の代表として当然」

2013年12月27日00時13分

 零戦パイロットの足跡をたどったベストセラー小説「永遠の0(ゼロ)」の著者で、27日付で安倍首相との対談本を出版する作家の百田尚樹さんは今夏、対談した安倍首相に対し、靖国神社に参拝するようお願いしたと打ち明ける。
百田さんによると、安倍首相は「第1次内閣で参拝できなかったのは痛恨の極み。その思いは今も変わっていない」と応じた上で、「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を表明するのは当然」と参拝に前向きな姿勢を示したという。

 百田さんは26日の参拝について「ずっと参拝するべきだという思いを安倍さんは持っていた。英霊に手を合わせ、感謝の念を捧げるのは国民の代表として当然だ」と歓迎。「中国や韓国はこれを外交カードにしている。批判は内政干渉にあたる」と語った。
この様に重なり合い、自身の思想信条と重なる事により、安倍は靖国参拝をしたわけである。中国や韓国が外交カードにしている点は先に述べた。北朝鮮があまり反応しなかったのが今回は違和感があるなという程度である。

 問題となってくるのが、安倍政権としては対中国を想定して、外交に力を入れてきた。今までの政権にない外交をみせていたのだが、価値観の共有というものが外交にとっては重要な事ではある。ロシアとの外交において、プラスに働く部分があったのは事実であるが、別の国だとどうなるのだろうか。中国はフィリピンとも領土問題を抱えているし、国内ではチベット、ウイグルでの虐殺など今の国際的感覚で言えば、認められないような状況をもっている。ロシアも同様の国内事情を抱えている部分もあるが、プーチンは対中国という事で日本との関係を何とかしたいという考えがある。韓国は中国よりの動きを見せたり、アメリカも不信感をもっていた。さて一番大事なものは日米同盟であり、それに加えて明確な敵である中国や北朝鮮とふらふらしている韓国を除いて、別の国の支持をとりつけなければならない点である。その中で外交をしていく上で、先述の靖国参拝からイメージを膨らませて報道される可能性、はっきり言うなら失言を大きくする危険性をもっているのだ。その点を考えていたのかは、わからないが菅官房長官は実に冷静に物事をみていたと思う。産経新聞の記事を見てみる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140212-00000084-san-pol
菅長官、試練の時…橋下代表と自公の板挟み 迫る大阪市長選、関係再考も

産経新聞 2月12日(水)7時55分配信
  (略ry)
 昨年10月中旬。首相が靖国神社の秋の例大祭への参拝を検討した際、後押ししようとした首相周辺とは対照的に菅氏はこう言って強く反対したという。

 「総裁の任期の3年間で1回いけばいいんだ。今はその時期じゃない」

 菅氏は、平成28年夏の参院選が衆院選とのダブル選になると踏む。それまでは経済を前面に出す方が選挙に有利と考え、中国、韓国の反発を招く行動を避けるべきだとの判断だが、首相の思い入れとは明らかに温度差がある。

 政権2年目になり、党内には鮮明な「安倍カラー」の打ち出しを望む声も少なくない。逆に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題をは じめ政権の重要課題に菅氏の存在は欠かせない。首相は、今国会閉幕直後にも内閣改造・自民党党役員人事を断行する可能性があり、菅氏の処遇は最大の目玉に なりそうだ。(山本雄史)
案の定、維新の会は勢力が弱まり、わけのわからない右翼も力を失ってきたところで靖国参拝したのは、失敗だった。参拝したところで効果が見込めないからだ。これは内閣参与などのブレーンが残念だ。もしここで菅を切る事になれば、冷静なブレーキを踏む人間はいなくなり、暴走する危険性が出てくる。
 私の考えがわけのわからない左翼と誤解されるのもたまったものではないので、以下に失言が肥大した実例をあげていく事にする。
 まず日経新聞からみてみる。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS19007_Z10C14A2EB1000/
 衛藤首相補佐官が「米に失望」投稿 靖国参拝反応巡り

    2014/2/19 11:19
衛藤晟一首相補佐官が安倍晋三首相の靖国神社参拝に「失望」を表明した米国への批判を動画サイト「ユーチューブ」に投稿していたことが19日、分かった。「むしろ我々が失望だ。米国はちゃんと中国にものが言えないようになっている。中国への言い訳として(失望と)言ったにすぎない」と指摘。「同盟関係の日本をなぜ大事にしないのか」と述べた。

 昨秋に訪米し、ラッセル国務次官補らに「首相はいずれ参拝する。ぜひ理解をお願いしたい」と伝えた経緯も紹介。中国に関しては「いくら(日本側が)抑制的に努力しても中国の膨張政策はやむことはない。これ以上、抑制的にやると日本にとってよくない」と強調した。

 菅義偉官房長官は19日午前の記者会見で衛藤氏の発言について「あくまで個人的見解だ。日本政府の見解ではない」と語った。その後、菅氏は衛藤氏に電話し、発言を慎重にするよう求めた。
個人的な見解といって内閣の一員がこの様な発言をすること自体が問題である。発言してはいけない問題のリストかマニュアルでも作った方がいいんじゃないか、余りにも幼稚すぎる。この様な発言が積み重なりイメージがつくられていくのだ。さらに追い討ちをかけるように発言が続く。TBSNEWSiでアメリカのメディアの状況が書いてある。
http://news.tbs.co.jp/20140220/newseye/tbs_newseye2131906.html
 米有力紙3紙、それぞれ「安倍政権の保守政策」記事掲載

 安倍政権の保守政策についてアメリカのメディアが相次いで取り上げています。「ニューヨークタイムズ」は、集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更について批判する一方、「ウォールストリート・ジャーナル」は安倍総理の靖国神社参拝を擁護するインタビューを掲載しました。

 アメリカの有力紙、「ニューヨークタイムズ」は19日付の電子版に「戦争、平和、そして法律」というタイトルの社説を掲載しました。この中では、安倍総理が集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈を変更しようとしているのは立憲主義に反していると批判し、総理大臣が個人的な意向で憲法解釈を変更しようとするなら、最高裁判所が拒絶するべきだと主張しています。

 一方、同じ日の「ウォールストリート・ジャーナル」は、本田悦朗内閣官房参与のインタビュー記事を掲載。神風特攻隊の自己犠牲を例に挙げ、安倍総理の靖国参拝は戦争で死んだ数百万の兵士たちを追悼するためだったという本田氏の説明を、論評を加えずに伝えています。

 さらに、中国の軍事力増大とアメリカのプレゼンスの低下に多くの日本人が懸念を深めているとして、安倍政権の防衛費増大の背景を説明しています。

 もう1つの有力紙「ワシントンポスト」は17日付の紙面で、「日本の挑発的な動き」という題で、安倍政権のナショナリスト的な政策がアジアの安全保障問題を深刻化しているとする社説を掲載しました。

 アメリカの有力紙3紙が安倍総理の保守政策に関する記事を相次いで掲載した背景には、日米関係の不協和音が相次ぐ中、タカ派で知られる安倍総理の今後の出方を読み切れないアメリカ側のいらだちを反映していると言えます。(20日14:17)
出方が読みきれないということは、ふらふらしているということだ。別に日本の国内で何か事件が起こったりとかしているわけではなくて、スポークスマンがわけのわからない事を抜かしているからだ。新聞がこういう報道に出ているだけで、日本政府とアメリカ政府に強いパイプがあればいいのであるが、そこが裏でちゃんと関係が機能しているのかと心配になってくる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140220/k10015392491000.html
官房長官「本田氏は報道内容否定」
2月20日 15時10分

菅官房長官は午前の記者会見で、本田内閣官房参与がアベノミクスの目的はより強力な軍隊を持って中国に対じすることだと語ったとする記事をアメリカの新聞が掲載したことについて、本田氏は報じられた内容を否定しており、訂正を求めるのではないかという見通しを示しました。

アメリカの新聞・ウォールストリート・ジャーナルは、安倍総理大臣に経済政策を助言している本田内閣官房参与のインタービュー記事を掲載し、本田氏は、アベノミクスの目的について、『より強力な軍隊を持って中国に対じできるようにするためだと語った』と報じました。
これについて、菅官房長官は午前の記者会見で、「本田氏は、『記事を読んで驚いている。取材は受けたが、私の発言の趣旨を違えて報じられており、全く真意が伝わっていない。自分はアベノミクスが軍事目的であるかのごとき発言もしていない』ということだった」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、「取材した記者に対して、まずは本田氏から訂正を求めるのではないか」と述べました。
一方、本田氏は、20日午前、総理大臣官邸で記者団に対し、「そういうことは全く言っていない。私が言ったのは東アジアの平和を維持するためにパワーバランスが重要だということで、発言の真意が伝わっていない」と述べました。
余計な事を喋らずに、問題を解決して行けば良いのに、問題の重要度をわかってやっているのかが疑問に思えてくる。重要度というか優先順位と言い換えればわかりやすいとは思う。自分たちがやっていることとやりたいことが噛み合ってない。
 やはり、この靖国神社参拝というものがはっきり言って邪魔だった。そもそも日本のために死んだ人がいて、その人たちにとっての未来の日本人がこういう問題で困った場合、参拝をして欲しいと思うのだろうか。
 靖国神社の問題として、 天皇が参拝していないわけであるが、それなら新たに追悼施設をつくればいいだけではないかな。そこに天皇が参拝して、靖国神社に参拝しなかったとなれば、A級戦犯の問題にしろはっきりするだろう。信教の自由がある中で他人の思想信条などどうでもいいが、この時代に宗教を信仰する事に私は理解が出来ないし、国益を優先して欲しい。
 第二次世界大戦において、問題となった一つが南進政策である。戦線をむやみやたらに拡大して、戦うべき相手を見失ってしまった。全方位に戦いを挑む意味があるのだろうか、いやなかった。それ以前に国内は首相暗殺のテロが続き内政は不安定。そもそもアメリカと戦争をする意味が全くなかった。敵を間違うとろくなことにならないなと思う。
 人権問題で現在の中国は問題があるが、日本はない。有利な状況なのに昔も今も日本は内部で足を引っ張り合う。いつまでたってもこの国は成長していないなとつくづく思うものである。戦争で死んだ人は泣いてるね。
 やはり、安倍のブレーンの偏りが問題になってくるのだろうか。前回の第一次安倍政権は、閣僚の失言やスキャンダルなど問題が次々と起こった。今回も足を引っ張られているなと思う。前回の教訓を活かして次に繋げる事が出来るのだろうか。
 要するに、アメリカとの関係は大事ということ。

目次


とりあえず仮定の過程です。

ブログ説明書
test説明書

僕の観光日記
土倉翁造林頌徳記念
義仲寺復興(保田與重郎、三浦義一) 





与太話
財界四天王(別称:コバチュウグループ、吉田四天王)
財界四天王(佐藤政権末期-三木政権末期)
水野成夫社長(麻生太郎邂逅)
水野成夫社長(森喜朗邂逅)
関西電力「芦原―内藤体制」
鳩山一郎と田中舎身(大野伴睦回想録)
小林徳一郎略歴(大野伴睦回想録)
鳩山一郎と小林徳一郎(大野伴睦回想録)

戦前
ルーズベルト親電

政局
芦田内閣
山崎首班工作事件(幻の三木内閣)

岸内閣
辻政信失踪事件(森喜朗邂逅)
河野一郎新党

三角大福(角福戦争)

田中内閣
椎名裁定(女キングメーカー)

福田内閣
田原総一朗の選択(田中清玄)

経世会支配(小沢、野中、青木)

小沢一郎『日本改造計画』

橋本内閣
自社さ連立VS保保連合(政界の狙撃手VS大勲位、壊し屋)

小渕内閣
自由党離脱
内閣総理大臣臨時代理青木幹雄

森内閣
加藤の乱(影の総理)
加藤の乱(参議院のドンVS大勲位)

小泉内閣 
田原総一朗の選択(小泉純一郎)
2001年自由民主党総裁選挙(亀井静香)
石原新党失敗(徳田、亀井)
軍師松野頼三-党内運営-
迷走平沼赳夫

野田内閣
”参議院のドン”再び
排除の論理ブーメラン(鳩山由紀夫引退)

第二次安倍内閣
尖閣の日中棚上げ合意の正誤(野中広務証言)
尖閣の日中棚上げ合意の正誤(小沢一郎証言)
尖閣の日中棚上げ合意の正誤(栗山尚一、田島高志証言)
オマーンからみるホルムズ海峡
2014年東京都知事選挙
2014年東京都知事選挙2
2014年ソチ冬季オリンピック開会式
靖国参拝の余波
2017年東京都議会議員選挙

安倍>前原→小池>安倍
竹中仲介(希望⇔維新)
首班指名の一手

2014年2月21日金曜日

2014年東京都知事選挙2


 石原慎太郎、猪瀬直樹と対立してきた都連のドン内田茂、長い間東京都議会に君臨していた。議席をみてもわかるが、自民党と公明党がキャスティングボードを握っているため、無所属(何の支援も受けないと泡沫は間違いない)や他の党の支援を受けて出たとしても厳しいなと思っていた。仮に当選しても議会運営がかなり厳しい形になるのは、明白である。
http://dot.asahi.com/news/politics/2013062600032.html
都連と対立勃発 猪瀬都知事を追い込む自民包囲網

 (更新 2013/6/27 16:00)
 (略ry)
都連は東京都の年間12兆円もの予算を差配する党内でも特別な存在だ。会長は石原伸晃環境相(56)が務め、幹事長には“都連のドン”内田茂氏(74)が座る。だが、こともあろうに都議選中、内田氏の地元千代田区では対立候補である無所属小枝寿美子氏(49)のポスターに「私も応援しています」という猪瀬氏の写真が貼られていたのだ。だが、猪瀬氏は悪びれた様子はなかった。
 (略ry)
※週刊朝日 2013年7月5日号

会長:石原伸晃
幹事長:内田茂

石原の息子が会長というのがなんともおもしろいなとは思ったが。

 朝日新聞に、都連が舛添をおした記事がある。
http://www.asahi.com/articles/ASG1B32V6G1BUTIL004.html
自民党都連、舛添氏推薦の方針 「政策面で一致」


2014年1月10日12時03分
 自民党東京都連は10日午前の役員会で、都知事選に立候補の意向を固めている元厚生労働相の舛添要一氏(65)を都連として推薦する方針を決めた。都連の石原伸晃会長は会合後「時間的余裕がない中、政策面で一致した」と述べた。

 舛添氏は2010年に自民党を離党して新党改革を結成し除名された経緯があり、推薦に難色を示す議員もいた。9日、舛添氏は同党都議団との会談で謝罪。都連が求める「都議会との信頼関係を築く」など3要件で合意した。石原会長は「都議会が泥をかぶって支援を決めた以上、都連としても応援していきたい」と語り、その後、党本部の石破茂幹事長に都連の意向を伝えた。
 (略ry)
この動きは内田茂の了承もあるんだろうなと考える。この人の動きも重要ではあるのだけれど、国政のほうからみての動きも無視できないのでそちらの方も考えてみる事にした。
 現代ビジネスに田崎史郎の解説と情報がのっていた。村木厚子を安倍が挙げていたというのがおもしろいなとは思った。センスがないと個人的には思いますね。そもそも女性っていうだけで選ぶのはどうかと思う。女性で実力があるのは素直に認めるけど、自民党の女性議員に支持がないのは、国民の目から見れば、たいした事ないとみられているんだということじゃないかな。別に、国民の人気が高かった民主党の蓮舫を優秀だとは思わないけど。基本的には菅の手腕がすごいなと思った次第。石破は顔で損をしているなとずっと思う。上目遣いで睨むのだけはやめたほうがいいんじゃないかな。癖なんてなおるものでもないだろうけど。小沢と喋り方とかも似てるのは、あまり良い影響ではないし、印象も悪いのではないか。長年行動を共にすればそうなるのは仕方がない事だけれど。彼の政策が好きではないしどうでもいいことではある。沖縄の方の選挙で負けていたわけではあるし、この選挙まで負けたらとんでもないことになっていたという追い込まれた形のほうが強いんじゃないかな。ただ地盤がしっかりしているので、他の地域とは違うのは確かだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38326
2014年02月10日(月) 田崎 史郎
田崎史郎「ニュースの深層」


圧勝で舛添都知事を誕生させた自民党「菅・石破コンビ」の周到な情報戦略

しかし、この戦いを制したのは調査データを重視して候補者選びを進め、細川・小泉の動きをいち早く察知した官房長官・菅義偉と、菅と連携し選挙戦を指揮した自民党幹事長・石破茂だった。

独自調査と情報網で精度高まる自民党の世論分析

前東京都知事・猪瀬直樹が5000万円資金提供問題の責任を取って辞任したのが昨年12月19日。この日以降、自民党は週末ごとに党独自の世論調査を実施した。調査対象を普段より多い3000サンプルとし、調査した候補者は最初、14人だった。

昨年暮れの調査で前衆院議員の元宮崎県知事・東国原英夫が支持を失っていること、首相・安倍晋三が挙げた厚労事務次官・村木厚子や自民党女性議員らが極めて低い支持にとどまっていることが分かった。

ダントツの1位は常に舛添だった。自民党は国政選挙の時に用いているオートダイヤル・自動音声システム、つまりコンピューターが作り出した番号に電話し、録音した音声で質問、調査対象となった人はプッシュホンで答える方式の調査を毎週実施。世論調査を実施している公明党と情報交換するとともに、マスコミの調査も入手し、対策を練った。

 (略ry)

菅はさらに、細川が小泉の支援を受けて立つという情報も昨年暮れに得ていた。そして、安倍とも協議し「ほおっておく」方針を固めた。小泉は稀代のケンカ上手。下手に反応したなら燃料を投下するようなもの、かえって勢いづかせることを2人とも知っていた。
マスコミが流した調査だと、舛添、池上、東国原、小泉など現役の政治家も多数挙がっていたが、その中で確実な調査に基づいたデータが自民党にはあったということがわかった。まず小泉は自民党にとって敵なので考えられないが、自民党が推す候補というのは、舛添に絞られていたんだなとこれで支援が確定した時点で、ほぼ当選確定。去年から小泉の動きは、確かにマスコミの報道でもちょくちょく出てはいたが、都知事選に絞って動くとは考えなかった。実際、都知事選で反原発をやることが受け入れられなかったのは選挙結果としてでているわけだ。自民党から飛び出す前は、舛添は世論調査で総理にしたい政治家ナンバー1にもなったことがある人だった。飛び出した後は新党改革という党をつくってはいたが、舛添個人の人気も薄くなってしまったというより、スポットライトを当たる事もなかった。少数野党の性だね。自民党と彼の合わさった人気である事を彼自身の人気だと錯覚して党を出たのだろうか。自民党が野党に転落するからって出てもたいしてメリットがないように私はみていた。だがここにきて、猪瀬が徳洲会資金問題で辞任。国政で惨敗して、静かに政治家引退で舛添はコメンテーターにでもなろうとしていた所だった。タイミングというか人の人生というのはよくわからないなと思う。
 迷惑なトロイカとはそのままだなと。細川のほうも対応しづらい感じだった。もう一度任せてくださいと言わんばかりの民主党色である。資金問題が出た政治家がいくらきれいごとを言っても受け入れられないだろうなというサンプルが続々と出てきているなという感じ。時代は変わったという事に気づいていないのではないだろうか。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140111/plt1401111453000-n1.htm
細川元首相を支援する迷惑な「トロイカ」 自民は“期待感”

2014.01.11
 東京都知事選に出馬する細川護煕元首相に対し、鳩山由紀夫、菅直人両元首相と、生活の党の小沢一郎代表が支援の動きを見せつつある。かつて3人による「トロイカ」体制は政権交代の原動力となったが、民主党政権迷走の原因ともなった。細川氏にとって吉と出るか、凶と出るか。
(略ry) 
小泉が脱原発で勢いがついてやるなら、国政だけだと思う。脱原発と東京じゃやっぱり駄目だ。次の国政でも脱原発というのがこれでカードとして、効果が弱まるんじゃないかなと思ってしまう。そう考えると脱原発という動き自体を潰すということは、小泉は狙ったのかとも勘ぐってしまうね。第二次安倍政権成立も小泉の動きが大きいしな。
https://www.facebook.com/hatoyamakunio.hongo/posts/1459339047611415
鳩山 邦夫
1月27日 0:30

     都知事選で、日頃、私と付き合いのなかった元秘書たち、たとえば前代議士の牧義夫君や元代議士の馬渡龍治君、それに上杉隆君らが細川陣営に加わって私は、ずい分誤解されてまいりました。私自身は舛添要一氏を全面支援し、彼の遊説は、私の現役秘書の小沢洋介君が取り仕切っています。
     ところが、「やはり」というか「良かった」というべきか、私の元秘書たちは全員、細川陣営からクビにされたというか、追い出されたようです。細川陣営は左翼志向の強いメンバーに占拠され、私の元秘書たちは居場所を失ったそうです。
     良かった。良かった。これですっきりしたという気持ちです。
政権交代の前にも似たようなことあったなと思い出した。民主党とは何だったのか。そういえば、鳩山邦夫と舛添要一で新党をやろうとしていた時があったな。舛添も資金問題が出てやめるなんてことにはならずに、がんばってまともな東京都の運営をしてほしいですな。

2014年2月20日木曜日

2014年ソチ冬季オリンピック開会式


2014年2月7日ソチ冬季オリンピック開会式 

デイリースポーツonlineに新たな森語録がのっていた。
http://www.daily.co.jp/olympic/sochi/2014/02/10/0006697928.shtml
森喜朗会長「英語は敵国語だった」


2014年2月10日

 20年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、ソチで会見し、森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。森氏は第2次大戦に触れ、英語は「敵国語だった」などと説明した。

 英語力について、森氏は「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と話した。出席者からは「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑する声が聞かれた。

 組織委幹部に女性が不在な点も指摘され、最終的に20~25人となる理事などのポストに起用する考えを示した。
後述するが直前の動きを考えれば、ロシアに対してのリップサービスを含んだ発言なのかもしれないが、女性起用と英語という点で言えば、日本の国際社会においての標準を指摘しているように思う。その点についての確認のようなものだろう。ここ最近、価値観の変化というものを感じる。倫理観などの共有は外交としては一番強い部分であるといえる。対中国を見据えた外交においては、ある程度折れて価値観を共有せざるを得ない部分もあると思う。

 直前の動きとして、The Voice of Russiaの報道をみてみる。
http://japanese.ruvr.ru/2014_01_29/127989848/
森喜朗元内閣総理大臣 ソチ五輪を訪問へ
29.01.2014, 13:19
  2020年の東京五輪組織委員会の委員長を務める森喜朗元内閣総理大臣は、2月7日に行われるソチ五輪開会式に出席する。

   森氏は、2月10日に日本がソチで開催する行事に出席するほか、国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長およびジョン・コーツ副会長と会談を行う。

さらに2月9日に行われる東京都知事選挙に当選した新しい東京都知事もソチを訪問すると見られている。

   これより先、日本の各メディアが報じたところによれば、安倍晋三内閣総理大臣がソチ五輪開会式に出席し、ウラジーミル・プーチン大統領と会談する予定であることが明らかになっていた。
  リアノーボスチ
プーチンと森とのパイプを活かし、外交している。これは今までの外交の成果であろう。民主党が与党であった野田内閣の時代から、森は動いていた。ここでも価値観の話が出てくるのであるが、同性愛の問題がある。その点においては、マイナスになる部分もあるが日本にとっては、北方領土問題があるのでここは行くメリットがある。安全性が確保できない中で出席するには命の危険があるため、諸外国は行きたがらないという事だ。そんな状況の中で、日本が現役の首相と元首相が出席するという事はかなりロシアに対するシグナルとしては大きな意味がある。
2014.02.07 くにまるジャパン - 文化放送
佐藤優の発言のみ抜粋し、文章化
それだから今日は北方領土の日で北方領土返還要求全国大会が行われてそれは毎年総理が発言しているわけですね挨拶をしているわけです
それを安倍さんもやるわけですよそれでもしロシアに行かなければロシアのマスコミは明日以降ロシアの晴れの開会式のときに日本の首相は来ないだけでなく反露的な会合に出て我々の式典にあやをつけたと
こういうようなキャンペーンをはられて大変な反日キャンペーンになりそうなとこだったと
しかし安倍さんとしては北方領土問題をきちんとやるということを言わないとこれは彼の信念にも反すると
彼の支持母体の保守的な人たちとの関係でもこれをかかすわけにはいかないと
どうしようかって考えてるときに知恵者がいたんですね
飛行機を大急ぎで飛ばせばその日のうちに間に合うと
そうすれば開会式の日につけば開会式の日に出席した事になる
そしてその前には森さんに入っててもらってプーチンと会っててもらうと
二日連続で森さん安倍さんという形で会見すればロシアのマスコミも日本は北方領土の日は隠れちゃうと
それでプーチンのところにも余計な情報は入らないだろうと
なかなか良くここは計算してやったことなんですね
最初は行かないつもりだったんですよ
ところがあの数週間前にやっぱり方針変えましたね
これ知恵者はこれ二人いますね
一人は谷内正太郎さん今の安全保障会議の事務方のトップ
それからあと斎木さんですね 外務事務次官
この二人があのきちんと連携して全体のバランスを取ってこの辺が一番良いだろうということを考えたっていうことだと思います
1855年2月7日(安政元年12月21日)
日本国魯西亜国通好条約(日露和親条約、日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)
日本とロシア帝国で締結された条約

ここでの重要な点は、日本とロシアとの国境(択捉島と得撫島の間)。

 支持母体の保守的な人たちという考えで言えば、強硬な考えを持つものが安倍の支持層なのかといえば、先の都知事選の結果を見てもわかるが違うと思う。国政になると影響力が違うのは言うまでもないが、そこまで強硬な人たちは少数ではないかな。右翼や左翼といったイデオロジーをもった人たちは一般的に政治に対して距離をおく日本人からすれば、珍獣扱いである。未だに冷戦が終わった事に気づかない馬鹿で、関わりたくない危ない人たちだ。そういうことで言えば、党内での支持基盤ということかな。先の選挙戦の結果を見ても安倍を支持した議員の事だろうとみる。次の総裁選がどうなるのか気になるところだ。それには経済の安定が不可欠になってくる。こういった交渉をするのに、短期政権では無理なのは明白であるし、がんばってもらいたいなと思った。一定の勢力として、強いイデオロジーを持った連中が出てくる状況はデフレ化で経済が悪化した状況であるといえる。その片鱗が少し見えてきてはいたのだが、アベノミクスによるデフレ脱却というその政策はその様な極端な政党や政治家の抑止に繋がっている。

 安倍は経済に力を入れるべきだ。それに対して国民の支持があるわけであって、生活水準を何とかしなければならない。維新の会が失速しているのは、橋下の失言が大きいが経済の要素も大きい。その部分においては、党内の政局を含めて菅官房長官が綱引きして支えていると思う。脇の甘さをカバーできないと前回の政権と同じことになるだろう。かなり外交力がある谷内正太郎の手腕を今後も注視したい。

2014年2月19日水曜日

鳩山一郎と小林徳一郎(大野伴睦回想録)


北九州一帯の大親分
九州小倉の炭鉱王

大野との出会い

大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.189
 私と彼との出会いは、昭和二年の田中内閣のころ、書記官長だった鳩山先生からある朝、電話がかかった。「今日、君に九州の小林徳一郎という快男子を紹介する。赤坂の宇佐美という料理屋で小林と昼食をとるから、君もぜひ来給え」
鳩山一郎からの紹介で、大野は知り合う。
小林のおごりで上京のたびに毎晩のように赤坂、新橋の花柳界を飲み歩き仲良くなって行く。

昭和4年(1929年)7月
田中義一内閣内閣解散 衆議院総選挙の時の話
5円札1枚でゆっくり遊べた時代。
そこで1万円の小切手を大野は小林から貰う。

 
朝鮮で炭鉱事業
北鮮(朝鮮東北部) 咸鏡鉄道 羅南(大日本帝国陸軍第19師団がいた場所)
小林は明川駅と竜洞駅の中間に鉱区をもっていた。
この付近の石炭は明川炭という家庭燃料炭にもってこいの炭。
鉱区の近くに駅をつくりたい採算がとれないので大野に陳情。
大野は鳩山に頼む。
鳩山は学友の朝鮮の鉄道局長大村卓一氏に紹介状を書く。

ところが、クリスチャンで堅物(酒、女が無理)なので大村はスルー。
ターゲットを変えて、大野は課長クラスを京城の花柳界で宴会に連日連夜つれていく。
約6ヶ月で駅が新設されることになった。
所謂、飲ませ食わせ抱かせということである。

小林徳一郎略歴(大野伴睦回想録)


  • 小林徳一郎

島根県邑智郡出身

小学校もろくにでず

13歳で流浪の旅で北九州の炭鉱の田川市で坑夫

20歳で小林組(請負業)で親分
その後浅野セメントの工場建設で500万ほど儲ける

明治28年6月23日
熊本市花園町の本妙時 仁王門 寄進
広島の親分 肥田利助とこの門前で決闘することになった。
熱心な日蓮信者と聞いた小林はドスを懐に境内で待ちうけ名乗りを上げて決闘を迫るが、熱心にお百度を踏み南無妙法蓮華経を深夜に声をはりあげて熱心にお参りする姿をみて感激してやるきがなくなり、人を仲にたて手打ち、このとき日蓮信者になった。

大正のはじめ頃 
島根県の名門、出雲大社、宮司千家氏が破産寸前。
当時の千家は、男爵千家尊福氏。東京府知事、司法大臣まで勤めた。
破産整理をやったのが、原敬内閣の司法大臣を務めた大木遠吉伯。


大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.195
 出雲出身というだけで、ポンと大金を投げ出したのだ。さすがに豪胆な大木伯も驚き、かつ感激してしまった。「小林君。お志有難う」手をとらんばかりに喜び、その場で大木伯は無名の土建屋と、兄弟分の酒杯をかわしたのだった。

この時の費用20万。大木と人脈ができる。
さらに出雲大社に大鳥居を寄進。

法政大学が中国の漢籍を買うことにしたが15万円が都合できない時。
第三次桂内閣や寺内内閣で司法大臣を務めた松室至がそのときの総長。
松室が事情を小林に語ると15万円を寄付。

歌手の赤坂小梅を売り出す。

稲田神社の社殿献立をする。神話に登場する奇稲田姫(クシナダヒメ)の稲田。

晩年、九州各地に赤字覚悟の干拓事業をひきうけ育英会設置に私財を投じる。

昭和31年1月3日 89歳死去

八幡製鉄をはじめ大半が小林組の手で完成されており九州発展に一役かっている。


鳩山一郎と田中舎身(大野伴睦回想録)


 田中舎身(田中弘之) 文久2年12月3日 - 昭和9年9月2日(1863年 - 1934年)
 と大野伴睦、鳩山一郎のお話。

 深窓育ち鳩山に対して、会ってもいないのに、ブツクサ文句を言う田中舎身。俺をたてろということか。食わず嫌い状態の田中であったが…

大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.87
 鳩山邸の近くに田中舎身という支那浪人がいた。自ら有髪の僧と称し頭山満氏と兄弟分だった。私の郷里の先輩でもあるので、出入りしたが彼は大の鳩山嫌い。
頭山満と兄弟分で支那浪人(大陸浪人)で大野と同郷(岐阜県)。
田中舎身は鳩山に一度も会わず、大野に鳩山が会いに来るべきだと言い、大野は鳩山に田中に会いに行くように言う。会えば、打ち解け馴れ合いというよくみるパターン。

大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) pp.88-89
 数日後、鳩山邸にいくと玄関に老酒の瓶が二本おいてある。張作霖が贈ってくれたとかで、一杯飲んでみるとすばらしくうまい。
 「僕は飲まないから弟の秀夫に一本やったが、あと一本はどうしよう」
 「田中舎身にやりなさい。きっとよろこびます」
あの爆殺された張作霖。鳩山と大野の会話。この後、大野が酒を田中にもっていく。

大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.89
朝から支那浪人が集って天下国家を論じながら酒を飲む田中のことだから、大変なよろこびようである。
こうみるとただの酔っ払いだなと思う。昔の人の感覚とかみていると今の人でも同じようなところがある。所詮人間だなと。酒を飲めば全て解決、めでたしめでたし。

2014年2月10日月曜日

2014年東京都知事選挙

 2014年2月9日東京都知事選挙
 簡素な感想。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140210/plc14021007380002-n1.htm 【都知事選】
「大したことない」師匠を見切った首相、原発再稼働へ前進 政治部長 有元隆志
2014.2.10 07:37 (1/2ページ)[安倍首相]

 「小泉神話」が崩壊した。平成17年の郵政民営化選挙と同様に、小泉純一郎元首相は細川護煕元首相を担いで都知事選も「原発ゼロ」をシングルイシューに掲げ大勝を期した。しかし、地に足のついていないスローガンには切実感もなく、当然都民の共感も呼ばなかった。「政治の師匠」との対決を制した安倍晋三首相は、原発再稼働に向け一歩前進した。

 産経新聞が実施した出口調査では「原発・エネルギー問題」が「最大の争点」とする回答は3位にとどまり、福祉や雇用など、より生活に密着した問題の方が都民の関心を集めた。小泉氏は遊説で原発問題のみを話し、都政全般への目配りに欠けた。

 選挙期間中に行った世論調査では原発を争点とすることを肯定する人が6割を超えたものの、小泉氏は代替エネルギー問題について「私一人で案を出せるはずがない」と逃げ続けた。細川氏も「専門家による『東京エネルギー戦略会議』を立ち上げる」と述べるにとどまった。都民が判断を下すにはあまりに具体性に欠けた。

 それでも小泉氏が細川氏支持を表明した1月14日当初、細川氏有利と判断した与野党幹部は少なからずいた。ある閣僚経験者は首相に電話し「官邸が前面に出ないほうがいい」と進言した。小泉氏の勘の鋭さをよく知る首相が流されてもおかしくなかったが、14日の小泉氏の会見映像をみて、首相は周囲に「全然たいしたことない」ともらした。往年の迫力はないことを早々に見切ったようだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140210/plc14021007380002-n2.htm 【都知事選】
「大したことない」師匠を見切った首相、原発再稼働へ前進 政治部長 有元隆志
2014.2.10 07:37 (2/2ページ)[安倍首相]

 舛添要一元厚生労働相擁立に積極的ではなかった首相だが、支持を明言し、街頭演説にも立った。国会答弁では「海外からの化石燃料への依存度が高くなっている現実を踏まえると『原発はもうやめる』というわけにはいかない」などと、原発の必要性を強調した。

 都知事選で敗北すれば、首相にとっては1月の沖縄県名護市長選に続く痛手となった。衆参両院で多数を持っており政権基盤が直ちに揺らぐことはないものの、今後の政局に影響が出る可能性もあった。それだけに今回の勝利は首相にとって意味は大きい。

 細川氏が勝利すれば突如再演した「小泉劇場」はロングラン確実とみえたが、結果は首相の原発再稼働へのシナリオを後押しすることとなった。もちろん、再稼働には慎重さが求められることは首相も十分承知だ。昨年末、首相は周辺に「今年の最大の課題は再稼働」と明言している。

 小泉氏周辺は、「劇場はしばし休演」とするが、再び舞台に上げないためにも、首相には再稼働を着実に進めて電力の安定供給を図り、国民の理解を深めていく責務があることはいうまでもない。
とりあえず、言えることは細川には、好印象がある知名度がなかったという事だ。宇都宮と細川を足して一本化すれば、結果は変わったかといえば、少し微妙なところがある。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140209/t10015140441000.html
東京都知事選 舛添要一氏が初当選

2月10日 2時01分

(略ry)
▽舛添要一(無所属・新)、当選、211万2979票
▽宇都宮健児(無所属・新)、98万2594票
▽細川護熙(無所属・新)、95万6063票
▽田母神俊雄(無所属・新)、61万865票
▽家入一真(無所属・新)、8万8936票
▽ドクター・中松(無所属・新)6万4774票
▽マック赤坂(諸派・新)、1万5070票
▽鈴木達夫(無所属・新)、1万2684票
▽中川智晴(無所属・新)、4352票
▽五十嵐政一(無所属・新)、3911票
▽姫治けんじ(無所属・新)、3727票
▽内藤久遠(無所属・新)、3575票
▽金子博(無所属・新)、3398票
▽松山親憲(無所属・新)、2968票
▽根上隆(無所属・新)1904票
▽酒向英一(無所属・新)、1297票

(略ry)
一番大事なのは、都政なのに国政の政策を言ったところで、通じないという事だ。時代の流れを見極めて、脱原発という言葉を使うのは良かったのだが、あくまでそれは国政の問題である。山本太郎は、脱原発の言葉だけで当選したが国政の話だ。宇都宮は都政を意識した政策をいっている部分もあったから、そういう意味で言えば宇都宮一本で行けばもっと票は伸びたかもしれないが、原発だけでやってる細川で一本化では失敗したといえる。細川と宇都宮の支持層が同じとはいえないので、一本化しても舛添には、勝てなかったと思う。
 他に可能性がある候補として考えられるのは、出馬をしていない人気があった人だろう。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131224/elc13122421110000-n1.htm
舛添・池上氏に高い支持 都知事選、自民調査で判明

2013.12.24 21:10 [東京都知事選]

 自民党が東京都知事選に向けて21~23日に都内で実施した世論調査で、舛添要一元厚生労働相とジャーナリストの池上彰さんが高い支持を集めたことが24日、分かった。複数の都連幹部が明らかにした。自民党は対象の候補者を絞って今週末にも再調査を実施。慎重に候補者選考作業を続ける考えだ。

 党内には両氏を推す声が出ているが、舛添氏はこれまでに「全く白紙だ」と強調している上に、過去に党を除名された経緯などから異論も根強い。池上氏は出馬自体を否定している。

 自民党は、候補者として取り沙汰される党所属国会議員や民間人らを挙げて調査した。国会議員は軒並み不調だったが、自民党議員では石原伸晃環境相が最も支持を集めた。

 元宮崎県知事の東国原英夫元衆院議員は「(対立候補として)恐れることはない数値だった」(都連幹部)という。
池上彰、東国原英夫の二人。後は考えられるのは小泉純一郎本人が出るなら話は別だったろう。それより気になるのは、猪瀬直樹の今後の事だ。
 全員当選するとしての見立てを飯島が言っていたので参考にみてみる。

https://www.youtube.com/watch?v=C3ahACBBH0s
【櫻LIVE】第67回 - 飯島勲・内閣官房参与 × 櫻井よしこ(プレビュー版)

公開日: 2014/01/31
飯島勲の発言のみ抜粋し、文章化
あえてはっきり言うと舛添さんの場合、スタート段階では235万2千票取れるとみています
細川さんの場合98万1千票のスタート
田母神さんは31万5千票
そして宇都宮さん97万5千
こんな感じでスタートしたかなと
ですから舛添さんの場合まぁ何もしなくても当選ってなるんですが
票数の少ない状態の数字の人は
舛添さんを追い越す状態へは細川さんにしても田母神さんも宇都宮さんも当選しますという風にまぁ一応とらえてもらえて
で結果的にここ後一週間ありますが最終的な着地点つーのは
舛添さんの場合240万6千までいくんじゃないかなと
で細川さんの場合相当な小泉効果がある例えば細川当選するとか相当キャンペーンやってる新聞もあります意図的に週刊誌とかそういうあれが仮に功を奏した場合102万票はとれるかなと
で田母神さんは自民党の一部の支持者のあれがまわってる可能性もあるんですが55万8千までのびると
宇都宮さんの場合88万2千票までちょっと落ちるかなという感じで私は見てます
ある程度みやすいように、飯島予想と実際の選挙結果を並べてみてみます。

飯島予想スタート段階の予想
舛添235万2千
細川98万1千
田母神31万5千
宇都宮97万5千

飯島予想最終
舛添240万6千
細川102万
田母神55万8千
宇都宮88万2千

実際の選挙結果
舛添211万2千
細川95万6千
田母神61万
宇都宮98万2千

かなり近い票読みだったなと思う。さすが近年総理の秘書で目立った人がいなかっただけに、能力がある人だなと感心した。
 田母神は舛添と票を食い合ってる部分がある点。細川と宇都宮は先に論じた。言えることは、細川が出たから安定して舛添は当選したということが問題になるかもしれないが、 当選する上で大事なのは知名度と都政にかける政策である点において先に述べたとおり、人気がある候補が出ていないので効果はないだろう。池上や東国原が出てれば別だがそうなると票は読めないだろう。まともな人はそういうリスキーなことはせずに、降りるだけだろうけど。

2014年2月4日火曜日

自社さ連立VS保保連合(政界の狙撃手VS大勲位、壊し屋)


ピンポイントにスナイプしていく野中広務。

第82代-第83代 内閣総理大臣 橋本龍太郎

任期     1996年1月11日 - 1998年7月30日


 沖縄特措法改正案を巡る動きからみるのがいいが、常に内在している小沢と中曽根の動きとみるとわかりやすい。後の大連立とかも同じようにみることができる。

1997年

中曽根康弘、亀井静香、平沼赳夫等志帥会と小沢一郎率いる新進党の動きに梶山が乗っかろうとする。自社さ体制をつくった亀井がすぐにこの流れに参加しようとするが、野中に牽制されている。野中は小沢と同じだ、似ているということを亀井が言うわけであるが、自社さを野中と一緒につくった亀井も同じようなものだろう。


松田 賢弥『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体 [単行本]』講談社 (2003/02)pp.44
 一方で、その小沢に手をさしのべ、特措法をきっかけに復権させようと仕掛けたのが梶山官房長官だった。背後には中曽根康弘元首相や亀井静香の存在が見え隠れしていて、彼らは「保守連合」「保守再編」を志向した「保保連合」派と呼ばれた。
 特措法が可決されたあと、一九九七年五月七日に私は改めて野中を訪ねた。
――小沢一郎と中曽根康弘元首相、梶山静六元官房長官の保保の蠢動を、野中さんはいったいどう感じているのか。
「中曽根はオレに言った。『私と小沢と梶山と野中さんが手を結べば大連合ができるんだ。ぜひ、やろう』とな。オレは断った。梶さんはそれに乗ったのではないか。梶さんの動きはいま、はじまったことではないが、おかしい。(総理への)色気もあるんだろう」
沖縄特措法改正案で、橋本龍太郎と小沢一郎が官邸で酒宴。橋本は小沢との会議で昔の女性スキャンダルを持ち出され、間が持たなかったとの事。それを与謝野馨と梶山静六がリークして煽る。与謝野と言えば小沢と近い人間。一緒に囲碁対局をよくやっていた。
 要するに、こういう流れをつくってやっていくというアピールと橋本をいびっているという事。梶山は内閣を支えるというより、その流れに乗ろうとしている。総理への色気があることは、明白でその後出馬している。タイプ的に言えば、総理を支えるタイプだと思う。

 野中広務、加藤紘一、山崎拓等は自社さで続けようとしている。表向きは弱者のために、反戦だとかを大義名分にする野中である。確かに、加藤、山崎にしろリベラルと言われる政治家であるし、社会党は左翼である事は事実ではある。だが、野中の目的は自民党の存続、もっと言えば、経世会の存続を軸にしていると私は思う。

1998年


松田 賢弥『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体 [単行本]』講談社 (2003/02)pp.60-61
「村上の発言は許せなかった。最初のうちは青木幹雄があいだに入ってきて『まあ、内部でもめるのはどうか。村上も本意じゃないように言っている』と言うので、ホコをおさめたかたちにしていた。が、七月六日にも村上が『恒久減税をやるのかやらないのか』とか、『(選挙後に)党三役も閣僚も替えたほうがいい』 と選挙で必死に闘っているときに内閣改造を口にしたり、党執行部の発言としては常軌を逸していた。だからオレは『(村上は)比例の二番にランクされている 人だが、私が幹事長だったら、十一日に自治省に候補取り消しの届けをする』と鹿児島で発言した(七月九日)。実際に、加藤幹事長や橋本にも連絡し、『仕方 がないだろう』という返事を得た。そして自治省とも連絡をとり、もし十一日午後五時までに村上からなんの言葉もなければ、名簿二位から村上をはずす用意を していた。加藤もそうとう怒っていた。結局、十一日午後三時ごろに村上から加藤幹事長へ『申し訳なかった』という電話が入り、名簿から削除することはやめた。
加藤幹事長とあるが、実際に動かしているのは野中幹事長代理である。ある意味で、この頃の加藤の微妙な立場が後の加藤の乱に繋がるわけではあるが、ずっと耐えてる小泉からすれば、同じように甘い汁をすっているようにみえる。
 ところで、いつもの組み合わせであるが中曽根康弘、亀井静香とくれば、村上正邦である。参院の法王と呼ばれ、全盛期の村上であるが野中はそれに対しても確実に潰している。思えば、この頃は加藤も野中の元でぶいぶい言わせている。小泉純一郎が村上に謝罪したのが1997年であるがまだこの頃は不遇だ。この頃のYKKだと小泉だけ不遇だが、逆に今考えると不思議だ。そのくらい小泉の爆発力はすごかったという事だ。

2014年2月3日月曜日

尖閣の日中棚上げ合意の正誤(栗山尚一、田島高志証言)


 問題の当事者が大事である。産経の記事の発言をみてみる。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130629/chn13062908300000-n1.htm
「尖閣棚上げ合意なかった」 78年の園田・鄧小平会談同席の元中国課長
2013.6.29 08:24 (1/2ページ)[中国]
沖縄県・尖閣諸島=2012年9月

  ■「一方的思い」

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり、中国政府が主張する領有権問題の「棚上げ合意」について、元外務省中国課長の田島高志氏は28日までに産経新聞の取材に応じ、「中国側の一方的な思いで、合意はなかった」と述べた。田島氏は、中国側が合意があったとする1978(昭和53)年の会談に中国課長として同席した。

 会談は、日中平和友好条約をめぐり同年8月10日、北京で園田直(すなお)外相(当時)と鄧小平副首相(同)の間で、同条約の批准書交換のため来日した鄧小平氏と福田赳夫首相(同)との間で10月23、25の両日にそれぞれ行われた。

 田島氏によると、8月の会談では、鄧氏が「日中間には釣魚島(尖閣諸島の中国名)や大陸棚の問題があるが、それ以上に共通点がある」と発言。これを受け、園田氏が同年4月に起きた中国漁船団による尖閣諸島周辺の領海侵入事件を念頭に「先般のような事件を二度と起こさないでいただきたい」と主張し、鄧氏が「中国政府としてはこの問題で日中間に問題を起こすことはない。数年、数十年、100年でも脇に置いておけばいい」と応じた。園田氏は聞き置いただけで反論しなかった。日本側は尖閣諸島を実効支配しており、中国側に現状変更の意図がないことが確認できたため、反論は不要と判断したという。

 中国側資料には、これに似た鄧氏の発言だけが記録されており、外務省が公開済みの記録には、尖閣関連のやりとり自体が含まれていない。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130629/chn13062908300000-n2.htm
「尖閣棚上げ合意なかった」 78年の園田・鄧小平会談同席の元中国課長
2013.6.29 08:24 (2/2ページ)[中国]
沖縄県・尖閣諸島=2012年9月

 また、記録公開済みの10月25日の福田・鄧会談では、鄧氏が終了間際に「次の世代は、われわれよりもっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と「独り言のように」(田島氏)発言。福田首相は応答しなかった。鄧氏は会談後の単独記者会見で「国交正常化の際も、平和友好条約を交渉した際も、この問題に触れないことで一致した」と主張した。

 田島氏は、一連の会談での合意を否定した上で、中国側が、昨年9月の尖閣諸島購入で「日本側が共通認識(合意)を破壊した」(外務省声明)としていることには「事実に反する言いがかりだ」と批判した。

 ■72年も合意なし

 中国側は、国交正常化交渉が行われた72(昭和47)年9月27日の田中角栄・周恩来両首相の会談でも合意があったとしている。交渉に条約課長として同行した栗山尚一氏は「両首脳の間で棚上げの暗黙の了解が成立した」と指摘する。

 ただ、産経新聞の取材に「あったのは暗黙の了解で、中国側が『合意があった』と言うのは言い過ぎだ」とも話した。田島氏も「条約交渉当時、田中・周会談で棚上げの合意があったという認識はなかった」と72年の合意説を否定した。
上記記事を当時の肩書きでまとめてみる。


  • 1972年(昭和47年)09月27日 田中角栄首相 周恩来首相
条約課長 栗山尚一
「両首脳の間で棚上げの暗黙の了解が成立した」
「あったのは暗黙の了解で、中国側が『合意があった』と言うのは言い過ぎだ」


  • 1978年(昭和53年)08月10日 園田直外相 鄧小平副首相
鄧「日中間には釣魚島(尖閣諸島の中国名)や大陸棚の問題があるが、それ以上に共通点がある」
園田「先般のような事件を二度と起こさないでいただきたい」
鄧「中国政府としてはこの問題で日中間に問題を起こすことはない。数年、数十年、100年でも脇に置いておけばいい」
日本側は尖閣諸島を実効支配しており、中国側に現状変更の意図がないことが確認できたため、園田は聞き置いただけで反論しなかった。

1978年(昭和53年)10月23、25日 福田赳夫首相 鄧小平副首相
鄧「次の世代は、われわれよりもっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と独り言のように発言。
福田は応答しなかった。

 外務省中国課長 田島高志
「中国側の一方的な思いで、合意はなかった」
「条約交渉当時、田中・周会談で棚上げの合意があったという認識はなかった」

並べるとこういうことになる。 合意には至っていない。完全な中国側の独り言に終わっている。正直な話、野中は中国には色んな勢力がいることを民主党が与党であった時代に、裏で仙石に助言をしながら、メディアの前で自分の意見を言っていた。その男がいざ中国が仮想敵になれば、この様な発言をすることになる。小沢はもう中国の方に擦り寄る意味もないと感じたのかそのまま事実を淡々と述べた。この人は時代の流れを読むことはできて、野中と違い現役の政治家で次を見据えた発言だったのだろう。私は小沢に次があるとは思えないが、結局その時の選挙の焦点という意味で、政策というか国民に対してうける事をよむのはできるが、今まで小沢が担いだ人間をみるに、人を見る目は全くないなと感じる。持病の影響も少なからずあるわけで、あまり言いたくはないが本人の性格の問題であるな。

2014年2月2日日曜日

尖閣の日中棚上げ合意の正誤(小沢一郎証言)


 田中角栄との関係がより強い小沢と比較してみる。実の息子の変わりにかわいがられた秘蔵っ子であった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013061100692
尖閣棚上げ「聞いてない」=生活・小沢氏
 生活の党の小沢一郎代表は時事通信のインタビューで、沖縄県・尖閣諸島の棚上げを日中双方が合意したと、田中角栄元首相から聞いたとする野中広務元官房 長官の発言について、「田中先生から聞いたことはない」と語った。小沢氏によると、野中氏が話を聞いたとする自民党田中派の研修会に、自身も主要メンバー として参加していたという。

 小沢氏は、日中関係の現状について「非常に深刻だ。中国もこれ以上悪くしようという気はないが、安倍晋三首相の(歴史認識をめぐる)発言や、(閣僚の)靖国参拝などを突き付けられ、引っ込みがつかなくなった」と指摘した。 (2013/06/11-17:10)
その小沢が聞いた事がないという時点で変だ。別の場所で聞いたとしてもそういう話ぐらい耳にするだろう。さらに詳しいものが時事通信社に載っていた。

時事通信社 【特集】政界インタビュー
http://www.jiji.com/jc/pol-interview?p=ozawa_ichiro-07
尖閣棚上げ、「田中先生から聞いてない」
 =小沢一郎生活の党代表インタビュー(7)=


 -尖閣問題の棚上げ論について、野中元官房長官は田中角栄元首相から聞いたと発言している。小沢代表は棚上げ論を田中氏から聞いたことはあるか。
 田中先生から聞いたことはない。棚上げ論は鄧小平氏が言ったことだと記憶している。この件は後世に任せよう、今ケリをつけようとしても無理があるから と、そういう話があった。国交回復の時は周恩来氏だったが、向こうは似たような考え方だったのではないか。言葉として言ったのはたぶん鄧小平氏ではないかと思う。

 -野中氏は、田中派の函南町の研修会の場で聞いたと言っている。
 研修会は僕が取り仕切っていた。自民党にいる時はね。でも、その話は聞いたことがない。
政権をとれば、解決策を言うと小沢が言う様に、今の政府以外には、関係のない事だ。
 野中の発言の信憑性が問われる。

田中角栄と小沢一郎の関係は、松田賢弥の著作がこのあたりに詳しい。



小沢一郎が田中角栄を裏切ったのが、角栄にとっての精神的ダメージになったのは事実ではあるが別にここでは述べない。思えば、小沢と野中の闘争は長い。