2014年2月23日日曜日

石原新党失敗(徳田、亀井)


 2001年当時、石原はポスト小泉の最有力候補であったが、現役の都知事であった。2003年4月東京都知事選が控える中、石原は結局国政に出馬する事はなかった。その時のもう一人のキーマンが徳田であった。データマックスのNetIB-NEWSに記事があるので引用する。
http://www.data-max.co.jp/2013/09/26/post_16455_ngk_1.html
徳洲会騒動は、永田町で炸裂するのか!! 発端の「能宗メモ」どこまで波及(後)
政治
2013年9月26日 13:16
(略ry)
「徳洲会から亀井氏が得た金額は、数十億円にものぼる。この金が亀井氏を通じて石原慎太郎氏にも流れているようだ」

亀井静香氏、石原慎太郎氏、徳田虎雄氏の関係は緊密だ。2001年には東京都知事だった石原氏を擁立して、石原新党を立ち上げる動きがあった。狙いは同年に行われた参院選だ。現職が改選の石井一二参院議員しかいない自由連合にとって起死回生を図る好機であり、同年の自民党総裁選で小泉純一郎氏を支援したものの、政策で裏切られた亀井氏にとって政界で浮上するチャンスでもあった。
 しかし、もっと大きな動きになると期待した石原氏がしり込みしたため、新党構想はとん挫してしまう。

(略ry)
この頃、亀井静香は小泉に政策協定を破られ失意の中、打倒小泉のために新党の動きを考えていた。その新党の看板として石原を選び、徳田がそれに金を出すという流れであった。この頃から石原にも裏切られ亀井はストレスをためていたんだなと思う。資金の問題において、石原と亀井は徳田とかなり強い繋がりをもっているみたいだ。2013年5月の政界往来の記事に石原と徳田の関係のはじまりが記述されている。
http://seikaiourai.jp/1305/130503.htm
維新代表石原慎太郎氏、80歳の鬱とストレス

日本経営者同友会会長 下地常雄

 日本経営者同友会はそもそも石原慎太郎氏が作った組織だった。それを33 年前、私が石原氏から依頼を受けて継承することになった。

 知事選の時に私は、石原氏を応援するため徳洲会会長だった徳田虎雄氏を紹介したこともあった。石原氏はそれに恩義を感じたのか、次の参議院選挙に徳田氏が自由連合から立候補した際、私が依頼した応援を受けてくれて、東京と鹿児島まで駆けつけてくれたことがある。息子の伸晃氏が自民党の衆議院議員だったにもかかわらずだ。

 石原氏は、そういった義理堅い一面がある。

 その後、徳田氏から自由連合の党首に石原氏が就任してくれるように要請があり、私も尽力したが徳田氏側の諸事情により流れた経緯がある。
(略ry)
元々、石原とも繋がりが強かったわけではないみたいだ。その間を取り持った下地にせよもっと別の誰かもいるだろうが私にはわからない。

 結局のところ石原はいつもタイミングが悪いなと思う。結局この騒動は逆に小泉の追い風になった気もするなと思う。この頃の小泉は運と強さが半端じゃなかったし、案外やらなくて正解かもしれない。

 この動きが後の石原の国政での新党のはじまりになるわけだけど、散々ではあるな。ついでに言っておけば、改革に熱を入れている猪瀬直樹は確かにいたのだが、あの頃の気持ちはどこにいったんだろうか。かなり強い感じで不正追求をしていた彼であっただけに後の事件は残念である。

0 件のコメント:

コメントを投稿