2014年2月2日日曜日

田原総一朗の選択(田中清玄)

 インドネシアの利権は、大きいという事か。インドネシアの発展と変化が目に浮かぶ。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130111/336700/?ST=p_bizboard
田原総一朗の政財界「ここだけの話」
熱気あふれるインドネシアは日本のASEAN戦略の拠点

2013年1月12日
(略ry)

1977年、岸信介氏のスキャンダル取材で訪問

(略ry)
 インドネシアへ行った当初の目的は、岸信介元首相のスキャンダルを取材することだった。日本は第二次世界大戦で敗れ、アジア諸国に対して賠償を行ったが、なかでも賠償額の大きかったのがインドネシアだった。

急きょテーマを変更、成長するインドネシアを書く

インドネシアでは日本の戦後賠償によって橋や建物、ホテルなどが建設された。私がそのとき宿泊した「ホテル インドネシア」もその一つだ。岸さんはスカルノ元大統領と画策し、ホテル インドネシアの部屋数を実際の2倍、ベッド数は3倍あるように見せかけ、それによって得たお金を二人で分け合うなどしていた……というスキャンダルを取材 しようと考えた。
 当時、インドネシアにパイプのあった田中清玄(きよはる、通称せいげん)に紹介され、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の兵士たちに会った。その兵士たちに紹介してもらってインドネシア政府の現役の大臣たちに会って取材を進めた。
 すると、インドネシアの復興が想像以上に進んでいることを知って驚き、それがとても興味深く感じた。岸さんのスキャンダルを取り上げることは急きょやめ、「インドネシアと周辺地域は今後伸びる」という内容に変更し、記事を書いたのだった。
(略ry)
反岸信介というより、反児玉誉士夫ということを田中清玄は自伝でも語っていた。
 
 ところで、この文章では岸のスキャンダルに絡んで、清玄に会ったとは書いていない。

1977年は、福田赳夫政権(1976年12月24日 - 1978年12月7日)。清和会のプリンスで、岸の後継である福田。そう考えるとそのまま岸のスキャンダルは福田政権にとって良いものとは言えないだろう。

 「ホテル インドネシア」は現在、「ホテル インドネシア ケンピンスキー」になった。インドネシアジャカルタ インターナショナル日系オフィスビル ウィスマ ヌサンタラのHPに他のビルについても説明がある。
http://www.j-people.net/nusantara/memorial/0100823pr.html
編集長ハルの独断と偏見によるスポンサー紹介
ヌサンタラビル - インドネシア ジャカルタジェイピープル

ヌサンタラビルは日本の戦後賠償で建設された四つのビル(他はホテルインドネシア、サリーナデパート、プラブハンラトゥホテル)の一つで、ジャカルタではもっとも古い高層ビルのひとつになっている。
(略ry)
時代は流れる。

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