2014年2月19日水曜日

鳩山一郎と小林徳一郎(大野伴睦回想録)


北九州一帯の大親分
九州小倉の炭鉱王

大野との出会い

大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.189
 私と彼との出会いは、昭和二年の田中内閣のころ、書記官長だった鳩山先生からある朝、電話がかかった。「今日、君に九州の小林徳一郎という快男子を紹介する。赤坂の宇佐美という料理屋で小林と昼食をとるから、君もぜひ来給え」
鳩山一郎からの紹介で、大野は知り合う。
小林のおごりで上京のたびに毎晩のように赤坂、新橋の花柳界を飲み歩き仲良くなって行く。

昭和4年(1929年)7月
田中義一内閣内閣解散 衆議院総選挙の時の話
5円札1枚でゆっくり遊べた時代。
そこで1万円の小切手を大野は小林から貰う。

 
朝鮮で炭鉱事業
北鮮(朝鮮東北部) 咸鏡鉄道 羅南(大日本帝国陸軍第19師団がいた場所)
小林は明川駅と竜洞駅の中間に鉱区をもっていた。
この付近の石炭は明川炭という家庭燃料炭にもってこいの炭。
鉱区の近くに駅をつくりたい採算がとれないので大野に陳情。
大野は鳩山に頼む。
鳩山は学友の朝鮮の鉄道局長大村卓一氏に紹介状を書く。

ところが、クリスチャンで堅物(酒、女が無理)なので大村はスルー。
ターゲットを変えて、大野は課長クラスを京城の花柳界で宴会に連日連夜つれていく。
約6ヶ月で駅が新設されることになった。
所謂、飲ませ食わせ抱かせということである。

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