2014年2月2日日曜日

2001年自由民主党総裁選挙(亀井静香)


 五人組の一人、亀井静香の失脚。


テレビ大阪『たかじんNOマネー』 2011年5月21日(土) title 田原流”メディア論”
田原総一朗の発言中心に抜粋し、文章化

水道橋博士 あの時亀井静香さんが えー総裁選に出るって言った時に 小泉さんと話し合って亀井静香が今後そのえー内閣入るっていう取引をしたはずなんですよね

田原総一朗 そうじゃない そうじゃない もっとひどいの あれはつまり亀井静香さんに まぁ中川秀直とか安倍晋三が とにかくね小泉が総裁になる 或いは総理大臣になるかもしれない 100パーセントあなたに相談すると 言ってみりゃあなたが本当の総理大臣だと 小泉は全部あなたの相談をすると で 何一つ相談しなかった 100パーセント裏切った 

水道橋博士 それに対しては 田原さんも怒っているんでしょ

田原総一朗 怒ってない でも僕はね小泉さんにね あなたはね人間としてね問題だと 人間性を問う そしたらね 小泉さんね 「田原さん 確かにそうだと しかし権力とはそういうもんだ」 と

やしきたかじん  おほーなかなかだ

田原総一朗 そこでこの男 なかなか面白いなと思った


 出し抜かれる亀井であった。ちなみに亀井静香は元々清和会出身、小泉と政策協定を結んでいた。

 ところで、大事な点としては、亀井静香+村上正邦(中曽根康弘をみることが大事だ)の志帥会と経世会という二つの派閥の動向をみるべきである。それはどこからきているかというと森喜朗総理実現を実現させた「五人組」である。密室云々はどうでもいい。

 「経世会」を「自民党」と言い換えるには、理由がある。野中と青木という二人から経世会の割れた状況がみえるし、この経世会の後継者争いが事の本質であるからだ。志帥会は、選択肢ではないということだ。

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