2014年2月22日土曜日

加藤の乱(参議院のドンVS大勲位)


 当時の森内閣の内閣参与は、中村慶一郎。ここから、森、野中、青木へと伝わるのは、中曽根が経世会(野中)を動かし加藤の乱鎮圧へと動かす布石だと言えるのではないか。 野中は調整型の政治家であり混乱を鎮圧するためその場の収拾をするのは目に見えていた三宅久之という人間は、河野一郎の番記者であり、渡辺恒雄、中曽根康弘の関係性が大きい。三宅は、中曽根が背筋を伸ばして起きているというが中曽根は、背筋を伸ばして寝ているだけだろ。大体、台本ありきの茶番国会中継で起きてようが寝てようがどうでもいいし、耄碌するな。ほとんどの人間は身内には優しいものだから庇うのはわかるが、国会議員の寝ている写真などいくらでもあるので意味がないのではないか。最初で最後のニコニコ生放送に出た三宅のインタビューに参考になる点があるのでみてみる。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw228213/4

「評論家冥利に尽きる」 "引退"直前の三宅久之氏がニコ生で語る政治 全文書き起こし<後編>
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ニコニコニュース(オリジナル):記事一覧 2012年4月3日(火)14時21分配信
■政局を動かしてきた!? 知られざる"山里会"とは

(略ry)
三宅: うん、ありますね。かつて森内閣のときに、加藤紘一さんに「今度の内閣改造でどうですか」って話をしたら、「森さんに内閣改造なんかやるんですか。私が組閣をやるんですよ」っていうような話でね。それで、野党の不信任に賛成して、森内閣を倒すって話になって。
  そのときは、私は言わなかったんだけども、そのメンバーの中には森内閣の内閣参与って肩書きを持った人がいたんですよ。それで、あっと言う間に政界を駆け まわって、野中広務さんが乗り出してきて、山崎拓さんを潰したんだけども。恐ろしいところだっていうことになったことがありました。
(略ry)
山里会
メンバー
渡邉恒雄、早坂茂三、三宅久之、屋山太郎、中村慶一郎、岩見隆夫、早野透など

 当時の志帥会(村上・亀井派)の村上正邦、亀井静香を従ていたのは、中曽根康弘である。これも余談だが当時の状況として、中曽根康弘の派閥から、後の渡辺美智雄の派閥政策科学研究所から近未来政治研究会を旗揚げして派を割ったのが山崎拓である。これは中曽根のもとにすぐ情報は入る。

 野中広務が加藤の乱を鎮圧し、自分は亀井静香に出馬辞退を勧め、経世会と亀井静香の合流を防ぎ、小泉に恩を売り亀井静香と小泉純一郎の裏でキングメーカー(平成の妖怪)として、力を持とうとしたのが中曽根康弘の思惑であったといえるのではないか。

 一見すると中曽根康弘の勝利にみえたが、現実には、亀井静香は入閣する こともなく、村上正邦は逮捕、郵政選挙で派閥は弱体の上、中曽根康弘、宮沢喜一は議員引退に追い込まれる。

 青木幹雄は加藤紘一から情報を得て利用し、中曽根よりも優位な位置についていた。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21021_R20C11A2I10000/

    加藤の乱 「青木幹事長」打診でつまずく 加藤紘一氏を語る(下)
    わが体験的政界論 山崎拓氏編

        2011/2/24 7:15
(略ry)
 ――加藤氏を思いとどまらせる選択肢はなかったのですか。
 われわれは非常に仲が良かったので、一心同体になっていた。加藤から青木さんと会談し、クーデター計画を認めてもらったと聞いたとき「これ はちょっと甘いんじゃないか」と思った。そのうち、マスコミ関係者との会合で「僕が総理大臣になる」という趣旨のことをしゃべり、それが漏洩(ろうえい) して大騒ぎになった。
 次の日、小泉が衆院本会議場で僕に「こんな話を聞いた。加藤さんは本当にそんなことをしゃべったのかね」と聞いてきた。加藤が僕の横に座っているのにですよ。
 僕が「本当だよ」と言ったら、今度は加藤に「拓さんの言っていることは本当か」と聞いた。加藤は首を縦に振ったから、小泉は「大変だ、大変だ」と言って議場を駆け回った。その姿が目に焼き付いている。これは計算外だった。
(略ry)
■青木氏、協力の約束を否定
 ――加藤氏は本気で経世会の協力を得られると思っていたのでしょうか。
 経世会を自分の「義挙」に加担させようと思っていた。自民党がつぶれるという危機感はだれもが持っていたから。青木さんもどこかで「もうだめだわね」とか、漏らしたことがあるんでしょう。加藤はそれを伝え聞いて、青木さんのところに行ったわけです。
 加藤は青木さんに「幹事長になってください。青木さんがだめなら、あなたの推薦する人を幹事長にする。経世会のどなたでもいい」と言ったそうです。彼は僕に謝る意味で、その話を教えてくれた。クーデターが成功すれば、僕が幹事長になるような立場だったからね。
 加藤は僕に「幹事長にできなくなった。勘弁してくれ」と言いに来たんです。後日、青木さんは加藤と会談したことは認めたが、協力を約束したことは否定した。加藤の曲解だと。
(略ry)
加藤紘一の詰めの甘さ、脇の甘さが結局露呈した。そもそもホームページに国民の声が殺到したと言っているがそもそも匿名の書き込みなど信用できるわけがない。誰が書いたかさえ分からないのだから。ネットの書き込みやメールなんて匿名でなくともいくらでも偽ることが出来るわけで、逆に加藤を動かすためにメールや書き込みが来ていたとしたらとんだピエロだな。ほとんど笑い話であるが、その後小泉が人気が出た事を考えると加藤に扱える人気ではなかったという事だ。結果として、青木は中曽根や野中を上回っているようにみえる。

 だけど改革を切望する国民の声というか、この状況を何とかしなければならないという思いを拾ったというのは良い事なんじゃないかなと思った。そのまま突っ切れば良かったのにね。

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